易の勉強では兆しということが見えるのが大事だという。八卦を立てない義理易ではそうやって事の推移を知るようです。
易は未熟な私ですが兆しのことを大事にするのが大切なのはよくわかる。
事に臨み人を選ぶにも兆しが大事であると思います。
悪い兆しはそのままNOのメッセージなんですね。それを頭のなかだけにあるお粗末な損得勘定や欲目や人の好き嫌いだけで見てたら絶対に雲ってしまう。
誤ってしまう。
それでは易を学んでも意味ない。
兆しを見てこれは駄目そうだな人は案の定ダメなんです。
兆しを見てならなさそうなことは無理言っても諦めなくてもなりません。
それがキッチリわかることが易なのだと思います。
そこは時には至って非情なもんですが…得てしてそれで正しいんですね。
悲しいですが。
とりわけ人物を見るときはその人の言葉などは二の次です。
何をしてきたのか、今迄の言葉や行動から推測する。
そんなのはそうそう変わらないね。
それだけで判断するばかりではないけど、それが兆しを見ることにつながる。
愛想が尽きた人たちは「許してください。信じてチャンス下さい。」という人もあるけどそんなの真に受けてよかったためしはただの一辺もない。
縁を切った人でそれを後悔した試しは一度もない。ただの一度も。
なぜなら切る時はギリギリ最後そこまで考えて縁切っている。だから切るときはバッサリ切る。
もう一度何とかなりませんかなんて情に訴えるなんて言うのは策略でしかない。
悪いけど済んだことはもう済んだんです。