悲しいことも、苦しいことも、腹立たしいこともあるけど、本尊とともに生きていこう。
あなたの悲しみも、わたしの苦しみも、その怒りもみな本尊は知っている。
抱えている問題も思い悩む心もすべてを知っていても、何ら助けもなくそのまま放ってあるというのであればそれもおそらく「教え」だろう。
そこには何か意味があるはずだ。
それはそれ、そこを是として生きていくのが信心というものだろう。
何もえらそうなことは言えたものはない。
愚かな小人である私には至って簡単ではないが、だがそう生きなくては!そう生きたいもの‼と思っている。