「末世濁欄の衆生 魔界を家と為し 菩提の果を知らず、ゆえにわれ衆生の苦に代わって大魔形を現じ、今、大天狗となる」
この尊は末世相応の神であるということです。
末世の我らは皆、我欲と物欲の塊の魔界の民となり宗教的な目覚めを求めない。
宗教的なものはあっても欲をかなえるための盲目的な教祖信仰や思考停止の信仰、恐怖からの信仰のみ流行る。
つまるところは依存心の変形でしかない。
この衆生を済度するがために魔王身を示現したのが飯縄様であるということです。
魔王の恐ろしい姿はあさましい我々を呵責する姿でもあります。
天狗というと鼻が高く顔の赤い山伏姿の天狗を言いますが、あれは修験道がさかんになってからの「行者天狗」の姿です。
古い天狗は鷲の顔で有翼の姿、あるいは半神半獣の姿が多いものです。
奥山半僧坊、道了大薩埵や秋葉三尺坊は人としての前身のある行者天狗、愛宕山太郎坊や富士山高鉢権現は後者です。
これはもとより人ではなく、天狗と言っても山の神霊の姿です。
平安以前は魔王と言えばそうした天狗の姿を言いました。
「空中を棲み家としてこの土の衆生を見るにその人の根性によって得度一準ならず。
明らかに聞け観音の三十三の大願のごとく、我もまた仏身を現じては菩提の果てをえせしむ。
菩薩の身を現じては六道の能化となる。
あるいは明王の身を現じては悪魔を降伏す。
あるいは摩利支天の身を現じては軍陣を護らん。
大荒神の身を現じては二世の障難を払い、宇賀神の身を現じては福徳をえせしめ、
あるいは水神、地神、山神、道祖神となり百八鬼神となって朝夕衆生を守らん」
飯縄様は空中に住まう。
これは無住所涅槃にいる方だからです。
既に悟りを開いていますが権現として魔王身を現した方です。
飯縄様の不思議な姿は様々に変化します。
菩提を求める人には大日如来の御姿を示したまい、六道のさまよえる衆生を救済するためには地蔵菩薩の身を現し、不動明王となって悪魔を降伏し、摩利支天の身となっては戦の庭に立つ者を守る。
今は殺しあう合戦などはないですが実社会はいつも戦場と言えなくもありません。
荒神となっては現世と死後までの業を浄め、宇賀弁才天となっては福徳を授ける。
以上を六大変化とします。本身を入れると飯縄の七大身です。
ですがそればかりでh無く、必要に応じて水神にも地神、山神、道祖神にもなり、あらゆる鬼神の身を現します。
本当は普賢色身三昧を得た方ですからお姿などなくても呼びかければ届くのですが我々にはわかりやすく色々なお姿を示現されます。
故に飯縄示現大明神と申し上げます。