「仏教を研究したいんです」という人がみえることがある。
「うちでですか?なんか勘違いしてません?」
うちはそういうことを指導していないし、指導する素養も全く持ち合わせてないですから・・・とお断りしている。
あれこれ、色々専門的なこと言われるが「へえ、すごいですね。」でおしまい。
方向が違う。それは学問でしょう。
うちは学問では無く信仰の場ですから。
学問は学問でとっても大事だと思います。
でも仏教思想や歴史をくわしく調べても、必ずしも信仰が分かるとは思わない。
信仰がわかなないのなら仏教がわからないのと同じだ。
これは例えば食べものを栄養学的に研究していくのと食べること自体の違いだ。
私は食事を提供するものであるからその分に応じた知識や学問は必要だが、学問自体を究めたいとは思っていない。
仏教学をしていても信仰のない方はいくらでもいるから。
わたしはそっちにゃいきません。
学問でも信仰でも一代ものだ。
どちらにしてもそう簡単に奥には入れないでしょう。