経験の少ない若いお坊さんより学識のある僧侶の方に葬儀をしていただいたほうがいいか?という質問。
何宗か聞かなかったが菩提寺の和尚さんは学識がある人で大学で講義していた経緯もあるとか、だがお忙しい。
そこで菩提寺のお弟子さんに当たる方を紹介してくれたが葬儀もするらしいがこの人は在家から出た人でまだ行が浅い人らしい。まだお寺持ちでなく一般家屋に住んでいる人だが熱心ではある。
どうだろうか?という。
どちらのご僧侶もお会いしたこともないのでわからないが、学識のある僧侶のほうが良いとは限らない。
むしろそういう方は学問として仏教を見ているので、はたして信仰まで確立しているとは限らない。
たとえ、経験の浅い僧侶でも一生けんめい祈ってくれる人が一番良いのだと私は思う。
私が亡くなっても、たとえ博士号のあるような方でも、信仰としての仏教をとらえられない方の回向なら、民間の信心篤い人に手を合わせちただく方がよほどうれしい。
仏教では四無量心ということを言う。
慈 悲 喜 捨だ。これを葬儀で考えると、
まず慈とは、慈しむ 死者に対する愛念だ。
次に悲 別れを悲しむ想い
喜は 死者への感謝、敬意だ。
最期は捨 しっかり回向して未練な思いを残さぬこと。
この思いで仏を念ずれば必ず死者の冥福はなると思う。
成仏という言葉はないがいかなる宗教の葬儀でも例外なくこの想いはあるだろう。
さすれば死者はそれにより浮かばれると思う。
死者を悼むのに特別な学問はいらない。心だ。
仏教の知識で浮かばれるわけじゃない。