タコは頭脳的で極めて強力な最強の軟体動物。その力は相当なものだ。
もし体重が人間と同じなら水中ではナイフをもっても全く勝てないだろう。
侮れない。陸にも上がってくる。
むかし小さいタコを飼っていたが、逃げてなんと玄関に歩いていた!驚いた。
タコは頭脳的で極めて強力な最強の軟体動物。その力は相当なものだ。
もし体重が人間と同じなら水中ではナイフをもっても全く勝てないだろう。
侮れない。陸にも上がってくる。
むかし小さいタコを飼っていたが、逃げてなんと玄関に歩いていた!驚いた。
この配備を歓迎する。
中国空軍の攻撃に台湾航空隊は数分で全滅するという。
台湾を落とせば次は沖縄だろう。
このくらいの備えは当然だ。軍備は戦争するためでなく、まずは戦争にしないためにも極めて大事だ。
軍備の薄い国チベットは中共に蹂躙されたことを忘れてはいけない。
昔高校時代、民主青年同盟と言う共産党下部組織の女子に「軍備はあったら使いたくなるのよ。羽田君の防衛のための軍備と言う考えは絶対駄目!軍備全廃じゃなきゃ。」といわれた。
「フ~ンじゃあ、あんた家に日本刀があったら人切りたくなるし、ボウガンあったら人撃つの?そういうのは気の狂った人間だけだと思うよ。そもそもそう思うということはアンタがその手の狂気を帯びてるからじゃないの」と返した覚えがある。
いまでもそう思う。
まあ、あくまでその人はその人で共産党さんはどう言うかは知りませんけど。
3月28日からの施餓鬼供養は、昨日4月3日、土曜日に結願しました。
継続の方は、4月4日、日曜日の本日からはじまる施餓鬼供養で引き続きご供養します。
取り急ぎご報告まで。
施主各位
吉祥成就
合掌礼拝
大森義成
初めての方は下記リンクをご参照ください。
施餓鬼供養の申し込みについて - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵
どんな宗教でも急場拵えの金儲けのためにつくったインチキ邪教でない限りは、おおむね奇跡もあり得るし、御利益も救いもあるだろう。救いのない宗教はない。
少なくとも現世での救いも説くならね。
我が国の仏教においてもそう思う。
なかには真宗さんの様に現世利益とかそういうこと言っちゃダメな宗派ももある。
極楽のこと考えて考え、現世のことなんか忘れてひたすら感謝に生きる。
まあ、これはこれで救いですね。
私自身には何の関心もないけど、日本一信者数を誇る既成教団だ。
それもいいとは思う。
私の師匠の寺で真宗で得度した人がいて一々法話とかにクチバシを突っ込んでくる。信徒さんは皆ほとほと嫌だったそうだ。まあ、本人は素朴に疑問だったのかもしれないが・・・
私はあまり会うことなかったけどその話、聞いていたので「ぐずぐず言ってないでとっとと極楽に行けと言ってやれ」と言ったらすぐ隣にいた。(笑)
大体聖天信仰は異安心でしょ。もう来なきゃいいのに。不安なのかな?
師匠に頼まれたわけでもないからそれ以上は黙っていたが、私のところだったらそういう奴は即座につまみ出す。
でも宗教の種類は関係ないんですね。救いだの奇跡だのは。
お互い邪教だと罵る双方にそういう体験者はいるに決まってる。
その人、全部が全部頭がおかしいわけじゃないと思います。
まあ、でも中にはインチキとしか言えないようなもんもあるね。
だいぶ前に「何日間かで極楽が見えるという合宿があって誘われてるんですが・・・」
こういう時に私は止めたりはしない。
「ああ、行きたいのですか?ではどうぞ。ただし、もう当院にもどってこないくだい。」というだけ。
私は人のしたいことは止めません。
人の自由だし、私の知ったことではない。
だけど方々に心のまま行きたい人はもうよそに行ってもらう。
そこは私の自由。私の住職している寺なのですから。
私は「○○教」にも「金翅鳥院」も入っていますと言うような在家信徒は認めない。
でも ○○神社の講に言っているとか、○○尊を信仰してるとか自分お家の宗派は別だ。
当然認めます。(第一、そもそも昔は祈禱しかしないから家の宗派が天台寺門宗と言う家はほぼない)
なぜならそういうのは宗教の教えを求めてるのでは無く供養や祈願が主眼なのだから○○教に入信すると言うような教義云々は関係ない。教えを振りかざさないなら宗教としてぶつかることもない。
その方は「じゃ行くのやめます」といったが、・・・
浄土宗の原点ともいうべき「観経疏」を書かれた善導大師だけが極楽世界を見る体験「三昧発得」を体験した。
そういう大変な宗教体験だ。だから法然上人は「偏依善導」であった。
1週間かそこらで金とって必ず見えますよ~なんてのはそれ自体インチキでしかないだろう。
変性意識に誘導して幻覚見せる手口だったオウム真理教と変わらん。
法然上人が晩年猛烈に念仏三昧に入られたのもこの三昧発得のためでしょう。
こういう高級なことには宗教の別はしっかり出てくる。
宗教の勝劣は道を求めるところからだと思う。
御利益レベルに宗派は関係ない。
最近また霊能があるとか言う人のコンタクトが多いけど・・・
用件は大概、決まり切っている。
呪われてるとか動物霊とか生霊とか・・・全部自分で決めこんで延々と説明してくれて「さあ、さあ。さあ。お前がとってみろ」と来る。
あ~聞くも嫌だ。バカらしい。こういう人は100パーセント門前払い。
霊障に苦しめられてる人の霊能判断なんか採用しろと言うのが無理。
アンタ、霊能者じゃなく、それ霊障者でしょ。
それどころか、精神疾患なだけかも。
「私 霊能あるんで」と言ってくる人はほとんどこの類を出ない。
「で、だから何?」といいたい。
霊能あるとか豪語するなら自分でなんとかしなさいよ。
だって「能」って能力だよ。
それのお陰で苦しんでいるんなら能力とは言えないのでは。
こういう人のお指図で色々やらされるのはまっぴらごめんでございます。
福猫ちゃんたちはお加持が終わり順々に皆様のおうちに帰りますよ。
早速帰ったお宅ではお花やお菓子、飲み物でこんな歓迎も!
嬉しいニャ~。リフレッシュしてみんなの為に頑張るニャン!
黒猫ちゃんや新猫ちゃんが皆様の家に伺うのはちょっと後になります、ご心配なく。
ある講員様。
今日お参りくださったが・・・
その方はここ毎月、お参りだけきちんと見える。
何か心願があるのかとお尋ねしたら・・・
「他所のお寺で一回でも聖天様を拝んだら、もう金翅鳥院では聖天様は絶対に拝んでもらえない」ものと思っていたそうです。
え~・・・まさか!?
そうではありませんヨ。
私が言いたいのはすでに聖天様の信仰や御祈願を続けている方なら、わざわざこちらに変える必要などないということです。
どうかその信仰をさらに深めて大切に育んでください。
そういう意図なのです。
ましてや他所で拝んできた人は気に入らないから拝みたくないとかでは全くありません。
それは全くの誤解です。
それは私としては今までその方が信仰し拝んできた聖天様の信仰をやめては申し訳ないから・・・と言うのがまずひとつあります。
二点目は聖天さまは聖天さまです。
ちゃんとご祈祷し指導してくれるお寺ならわざわざ祈願先を当院に変える必要などはないという意味です。
でも、お参りはしたのだけど祈祷まではしてもらっていない。
祈祷はだいぶ前にしてもらってそのあとは御縁を頂いていない。その時は信仰というほどではなかったと思う。
そういうことなら別です。
それから同時にうちはよその聖天さんをお参りしちゃダメとかはありません。
祈祷して頂くところは絞る方がいいですがお参りが悪い道理はないですもの。
たとえ観光にせよいった先のお寺で聖天様を祀ってあると聞けば聖天信者としては必ずお参りするのは自然なことです。
むしろ必ず無視しないでそこに尊天がいらっしゃるなら是非ともお参りください。
どこの聖天様であろうとルーツを言えば同じ聖天様ですからね。
ある非講員の信者さんですが、お友達が国連関連である治安維持部隊として紛争地域に行った。
それが心配で日々最勝王経の意如意宝珠品をあげられたそうです。
前から私が如意宝珠品は雷除けで知られるが実は禍いのすべてを除けると言っていたからでしょう。
それで毎日あげていた。
そうしたら当の現地の人からこんな話が来たそうです。
その方は仲間三人で警備のため巡回していたら、向こうから子供がやってくる。
これがなんと実はただの子供でなく少年兵だったらしい。
やおら少年は手榴弾を出すとぶん投げて三人とも逃げられないで被弾した。
うち二人は即死、だが拝まれていた人はともに被弾したにもかかわらず奇跡的に無事だったそうです。
こういう話をすると仏様は大慈大悲の方なのに拝む人だけ助けてほかの人はなぜ助けないの?と思う人もいると思う。
ハッキリ言って仏様にそれはできない。
なんでも自由にできるわけじゃない。
そんなことができるなら世の中もっと平和で安全だ。
仏様とは我々のこころを通じて働く存在なのだ。
仏様にコンタクトをとろうとする人がいないと仏さまは無力だ。いないに等しい。
この人自身はお経を拝んでいたわけではないけど、背後にずっと拝んでくれていた人がいた。
それだけでも全く違うのです。