ある非講員の信者さんですが、お友達が国連関連である治安維持部隊として紛争地域に行った。
それが心配で日々最勝王経の意如意宝珠品をあげられたそうです。
前から私が如意宝珠品は雷除けで知られるが実は禍いのすべてを除けると言っていたからでしょう。
それで毎日あげていた。
そうしたら当の現地の人からこんな話が来たそうです。
その方は仲間三人で警備のため巡回していたら、向こうから子供がやってくる。
これがなんと実はただの子供でなく少年兵だったらしい。
やおら少年は手榴弾を出すとぶん投げて三人とも逃げられないで被弾した。
うち二人は即死、だが拝まれていた人はともに被弾したにもかかわらず奇跡的に無事だったそうです。
こういう話をすると仏様は大慈大悲の方なのに拝む人だけ助けてほかの人はなぜ助けないの?と思う人もいると思う。
ハッキリ言って仏様にそれはできない。
なんでも自由にできるわけじゃない。
そんなことができるなら世の中もっと平和で安全だ。
仏様とは我々のこころを通じて働く存在なのだ。
仏様にコンタクトをとろうとする人がいないと仏さまは無力だ。いないに等しい。
この人自身はお経を拝んでいたわけではないけど、背後にずっと拝んでくれていた人がいた。
それだけでも全く違うのです。