金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

青面金剛尊七座供養 コロナ除け守り    金剛尊院教会

変異種も出てますます危険度が増しているコロナ事情です!


青面金剛尊七座供養でコロナ守りを謹製

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金剛尊院教会から青面金剛様と孔雀明王様を一体に致しました特製守りのご案内
青面金剛は古来、骨蒸病と言われる「肺炎よけの仏」としられています。
青面金剛法七ヶ座を修して開眼供養致します。
孔雀明王は、孔雀が猛毒の蛇を飲み込むようにあらゆる毒や災いを食べ尽くしてくれる有難い明王です。
古来、国土安穏、病魔退散、災害除けの仏としても信仰されています。

また口訣に青面金剛を祈るものは必ず孔雀明王の真言を常より受持せよと言います。

当院は伝統秘法をもって青面様の御祈願を厳修しております。

 

七座行法を厳修いたしますのでお手元にはお申し込みから10日ほどかかります。
御希望の方は
146-0082 

東京都大田区池上4-15-15モンドール池上311
金剛尊院事務局
電話 09072555649
メールアドレス nyoirin18.3@i.softbank.jp
石橋春佳まで

 

御宝前にお供えできるように現金書留で3000円同封を必ず熨斗袋か封筒に入れて下さい。
(青面様へのお供えですので、熨斗袋は無地熨斗で祝儀用に入れたうえ)
上に青面金剛お守り希望と明記の上
再度お名前、住所、電話番号を裏に書いて送って下さい。
接触自粛につき直接のおいでは、ご遠慮願っております。

合掌

 

追伸 効果が期待され、大口のお施主様から御守り100個注文いただきました。合掌。

ご期待に副うべく専心以に御祈願申し上げます。

生まれ出ずる神々

「本門の戒壇と霊界の統一」戦前の日蓮宗の僧侶 鷲谷日賢が描いた本です。

これを読んだ人が「奥山方広寺の半蔵坊権現が来て帰依したとある。半僧坊は臨済宗寺院の守護神なのに日蓮宗に帰依することがあるのか?」と言う質問。

 

鷲谷と言うお坊さんは頭変なのか?

そうではないでしょう。

ここに登場する半僧坊は新しくできてきた無意識体です。

元の集合無意識から離れて新しく鷲谷さんに感応してできた新しい神。

だから厳密にいえば奥山方広寺の半僧坊とは別です。

※鎌倉建長寺奥の半僧坊

 イメージ 2

同じようにヒンドゥーのガネーシャと密教の歓喜天はルーツは同じでも別な存在です。

だからインドで「ガネーシャ買ってきたので浴油してください。」はあり得ない。

それはそれ、これはこれ。

 

もっと不思議なことを言えば弘法大師だってそうやって祀る人やお寺によっていくつも分かれてきた。無数と言ってよい。まあ、大師は大師ですが縁が変わればその働きも個性も別になります。

 

新たなる神も仏もそうやって生まれてくる。

 

 

皇族に庶民のような自由はございません。

news.yahoo.co.jp

 

日本古来の神の捉え方「神独り尊からず、人これを崇めるによって尊しとなす」というものがごさいます。

畏れながら眞子さま、皇族は同じく皇族独り尊からず。国民あってこそです。

誰も口にこそしませんが、そのようなお立場でハッキリ言えば庶民のような自由は存在じないのです。

そのお立場の自覚と責任の受け止めこそが皇族の皇族たる証なのでございますよ。

なにとそご賢察ください。

土地の大切さ

福徳を呼ぶのは地です。

道教の神様 土地公は福徳正神と言う。

密教でも堅牢地天は福徳の神でもあり増益神

気功や最近のイメージワークで言うグランディングもそう。地に足がついてない奴は福徳もヘチマもない。

気が上昇して頭に登る。

精神疾患の原因になる。

中原密功なんかでは大地の底の底に根があることをとっても大事にする。

中国では天、人、地がつながるのが大事。立てに一本入れて繋げたら「王」だね。

「王」とはそう言うものをあらわす。

 

五行を使う呪術でも福徳を呼ぶ五行は土つまりは「地」です。

だから悪い例ですが商売は五黄殺に行くとバカ儲けする。財が「横発する」という。

横発は正しくない効果の出方を言う。

無論、普通はただ凶に見舞われる方が圧倒的に多いから絶対行くのは勧めません。

だがある種の限られた命式の人は五黄に行ってそれを克服すると一種の魔力ができる。

性格はワンマンで傲慢でパワフル。

九州の地神信仰では地神即荒神。

土地の怖さが荒神、豊かさが地神。

これと同じ考えが本地は弁才天、怒れば荒神 笑えば宇賀神

宇賀神も弁才天が大地に降りた神様で稲荷でもある。

宇賀神は大地の精霊だから龍ではなく蛇体です。稲荷も同じ。

神道では宇賀の御魂ですからね。だからお稲荷さんは我が朝で福徳の第一の神です。

 

引っ越しは方位を皆いうけど土地が大事。

昔の中国人は良い土地探してそこが良くなる方位の時に引っ越すという。

日本では引っ越すけどどっちの方位がいいかとしか聞かない。

これは半分の考え。

方位は年盤なら長く持つ、10年くらい上っていく。うまくすればそこからまた良いものが枝分かれします。一代の栄華となる。

土地が良いなら子々孫々まで栄える。逆もまた真なり。

だから家買うときは土地も気にしたい。

今の土地税制は子々孫々の真逆。

だから日本はどんどん貧乏な人ばかりになる。家というものものもなくなる。

先祖への想いもなくなる。

国中流浪の民とおんなじ。

郷土愛もうせていく。ジックリ人が育たない。それでいいわけないね。

煮込み料理みたいな手の込んだ料理じゃなくてレンジで3分の料理みたいな人間ばかりになる。

しかも生産できない国土を外人にも売る。

国を憂える政治家はいるのか?

国を亡ぼす実に愚かな政治だ。

 

令和3年敬愛修行会の感想その18  善龍庵

 

この修行は敬愛和合の徳が自分にもあり、他者にもあるということに気づくことが一番の目的です。

ゆえに大事な人と変わりなく仲良くいられることがご利益だと感じることは最も大切なのです。

 

ここから頂いたメール

 

 

ご苦労様です
敬愛会に参加させて頂きました、○○です。
今回敬愛会参加せて頂きありがとうございました。


自分は先生のブログで紹介されている様な不思議な事等は特に有りませんでした。


しかし、大事な人と変わりなく仲良く居られることが御利益であり仏様に護られてるんだなと感じでおります。


また、今回敬愛会に参加をしたかった理由の一つに、先生のブログで、天部信仰している人にもお勧めと書いてあったので、自分は毘沙門天様を信仰しているので、是非とも参加したいと思って参加させて頂きました。


本当にありがとうございました。
今後も宜しくお願いします。

 

 

5月滅罪会のご案内

下記リンクをご参照ください。

参加は今回から許可制になっていますのでご注意ください。

 


令和3年5月滅罪会のご案内 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵


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英彦山豊前坊「飛竜剣の法」

天狗様の御利益って何だろう?

一般には火伏とか、盗難除けですかね。

飯縄様はそうしてる。

 

そうしたら「精神病に使え」といわれたので、最近は精神疾患にご真言唱えています。

近縁の迦楼羅天が鬼魔調伏に使うから似てるのかも。

精神病は昔は鬼魔のしわざ。

じっさいそういうのもあるだろうけど・・・・。

 

天狗法の中でも私の知るものに「豊前坊秘法」というのがある。

一名「飛竜剣」の法。

豊前坊は八天狗にも名を連ねる大物天狗。英彦山に住む九州天狗の随一です。

「竹台宮」とも呼ばれているがこれがそうだという。

師匠からの伝授ですが、門下でわざわざ授かった人はおそらくほとんどいないと思う。

師匠の手持ちの次第から見出して…図々しく特にお願いした。

こういうのは必要だから授けるとは普通は誰も言いませんから。

一名「飛竜剣」と言って本来は調伏法です。

調伏するのは悪魔や悪人と限らない。

病気でもいいわけです。

そういえばこの法は私の門下でもニ人だけだったなあ。授けた人は。

この人も見つけて授けてくれと言われた。

そういうもんかも。

 

 

 

 

霊感あるから弟子にしてと言う人には・・・

最近霊感あるとか言う人がまた増えてる。ほとほと困る。

「霊感あるから弟子にして」は駄目だと言っても聞いてない。ブログ見たといって来る。

霊感あるのは仏道修行とは関係ない。理由にならない。

話を聞くと要は修行したらもっと霊感出ると思ってる、

正しくやれば出なくなる方が多いのに。

 

良く聞くと精神科通っている方もいる。

この前も同じようなことを言う女性。

 

「そう、霊感あるんですか?自分で言うからには自信あるんですね。

じゃあ、一つお聞きします。

私はあなたを弟子にするかどうか そこもわからないで電話しているわけじゃないよね?」

ということにしています。

令和3年敬愛修行会の感想その17 善龍庵

 

 

 仏様に近づきがたい時は、自分がこんな人間だと知られると、仏様に罰せられるのではないかと内心思っているからかもしれません。そう思うと仏様が怖いと感じるのです。

 

(親に知られると怒られるのではないかという感覚に近いものがあります…)

 

そして、たまたまなにか悪いことがあると仏様の罰だと思い込んで、実は自分で自分を罰しています。

 

仏様は罰さないのに、自分で自分に罰を与えているのです。

 

でも仏様は私たちを照らし見守り導く大慈悲のご誓願をお持ちです。

 

私たちのことははなから全てお見通しです。

 

そして、私たちは不完全だからこそ、仏様の前ではすべて打ちあけ、懺悔し、お任せすると、心の底からの安らぎを得ることができるのです。それが滅罪会の懺悔です。単に懺悔文を唱えるだけではなく本当に懺悔する行事なのです。

 

そして、敬愛修行には、必ず滅罪会の懺悔の修行が必要なのです。

 

ここから頂いたメール
 
大森先生


お世話になります。○○○○です。敬愛修行会に参加させていただき、誠にありがとうございました。


修行を通じて、以下の2つが現在の自分の課題だと感じましたのでご報告いたします。本やネット、会話の中から繋がっていった内容です。


①実は、心の中を他人に明かすのを怖がっている事を自覚できました。コトバが悪いですが、無自覚に過度に「ビビり過ぎ」なのだと分かりました。きっと本当の自分を知られるのが怖いのでしょう。


②思考の癖に問題があること。①に関係するのですが「男の子は強くあるべき」という考えが思ったより強い事もあり、物事を腕力で解決しようと脳内でシュミレートしつつ良くない事として否定する癖があり、この事が「自分の意図を実行しない」という設定を自分自身にしている (自己暗示ですね) ことです。

 

実際に暴力等を振るわなくても攻撃的な気持ちは他人に伝わる。きっと脳内の自分はキャンキャン吠える小型犬なのでしょう。昔、父に対し「ビビりを暴力でごまかしてやがる」と思っていたのを思い出し、成程これが投影かとも感じました。


今後も修行を継続しつつ、自分自身の問題を解決していく努力をしていきます。自分だけでは分からない問題に対する気づきを与えてくれた愛染明王様には感謝の念しかありません。


また、毎年4月にお伊勢参りしているのですが、今年はお祈りの質が変わったと感じました。なんか深くなったと思いました。お祈りと言っても今年も無事にお参りできた事への感謝と来年も無事にお参りできるようにお願いしているだけですが。なんにせよ、ご縁が深まったら嬉しいです。

 


追記


ご報告してなかった前回の施餓鬼供養と春季彼岸会の感想は以下の通りです。


①聖天様への月参りの際、お堂の外の沢山の何か(ご眷属と感じました)が感謝の念を伝えてくれました。
②亡き父が夢に現れて「ありがとう」と言ってくれた。
③最期の数年老犬介護で寝たきりだった犬が夢に現れ、元気に飛び回ってくれた。
 


誰であれ他人様に喜んでもらえるのは、本当に嬉しいですね。


④母方はイヤな感じがちょっと薄れてきました。ちょっとずつ関係改善しているかもしれません。
  

以上、ありがとうございました。長文で失礼しました。

 

5月滅罪会のご案内

 

下記リンクをご参照ください。

申し込み締め切りは5月13日です。

今回から許可制になっております。

 

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令和3年5月滅罪会のご案内 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

 


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待乳山聖天の灯篭

 

特殊な修行

うちはよそにない修行法として動物の世話と言うのがある。

鳥獣の世話を通じて物言わぬ者たちが何を思っているのかを知る。

またわずかなこともなおざりにせず気配りして少しでも安楽に不自由なくすごせるようにしてやる。

特に奇麗にはできているが考えなしだなと言うのもある。

 

胸張って「わたし霊感あるんです!」とかいっても、世話させてみてそういう生き物が何を訴えているかすらわからないものは私は認めない。

何故なら彼らは水が欲しいか、食べ物が欲しいか、快適じゃないのか、体調はどうかくらいしかないからだ。要求はきわめて基礎的なことだ。

複雑極まるメンドーな社会に生きている人間に比べればはるかに簡単で判りやすいはずだ。

 

だがそれすらわからない。

そんな程度で霊感があるとは人さまには言えないと思う。

だから霊能者といえるような類の弟子はいない。

たとえ真実、霊能があっても霊能ありきで自己紹介をしてくる人は全部漏れなく外す。

そういう妙な思い込みは修行の邪魔以外のないものでもない。

そういう人は修行させてもご都合主義で自分の感じではそうじゃなくて・・・とか言いだして指導通りしないからね。

だったら初めからご自分の感じでおやんなさいな。

あんたの霊感なんか私の知ったことではない。

 

この鳥獣のお世話にようく人間の「ひととなり」が出る。

例えば鳥の水入れがゲージにかけてあるが止まり木からとんでもなく遠く離れている。

これでは飲めないが水を入れろと言うので入れてありますが・・・というバカなパソコンのようなこともする。

指摘すれば「よくわからなかったので・・・」と言う。

判るように観察するということは毛頭ない答えだ。

判らないから聞くという次善策も頭にない。

甚だしいのはゲージが開いていたりもする。

小鳥のイラスト(挿絵)無料イラスト

それで昔のように激しく叱ることは今はあまりしないがそれで人が判る。

それに叱っても駄目な人と言うのはあまり変わらないからね。

無駄だということが判っている。無駄はくたびれるだけだからしません。

 

密教は差別の教えだ。

人を見て法を授ける、正しく差別をしないといけない。

だから、お手々つないでみんなでゴールインして頂くなんて馬鹿げた小学校のマラソンみたいなことは私の頭のどこにもない。

 

K師は最後の師匠の弟子だったから、逆に私などの聞かされていないことも聞いている。晩年の師の教えを聞いているのは彼だ。

その一つが「弟子に皆に同じ内容のものを授けるな」というものだ。

まあ、基礎までは同じじゃなきゃいけないけど、そこから先はやはり人の器をみていかないといけないのが密教です。

 信者を差別はできないが弟子はあって当たり前だ。

ただしその基準はあくまでこの人は法の器にふさわしいかということのみ。

世間的好悪ではない。

 

「あの人には授けて私に同じものを授けてくれないのは不平等じゃないですか!?」

 「そうですよ。それが何か?」