常随魔
聖天様の眷属はビナヤキャ。常随魔と言われるビナヤキャ。
人について回るから常随魔というけど・・・
いかなる祈願に応じるのも常随魔の意味だと思うのです。
悪い祈願でも応じるので常随魔。
でも常随魔は取引で菩薩行するために助けてくれるのではない。
必ず「代わり」を要求する。
叶っても叶わなくても要求します。
断ち物信仰は常随魔信仰になりやすい。
神仏に取引はない。
常随魔に近づくのをあえて聖天様は止めてはくれない。
「そもそもビナヤキャの魔性を引きだしたのは誰だ。お前じゃないのか?」と問われる。
「それもお前が望んだことだ」と言われます。
私の師匠は常々眷属信仰はダメだという表現でこれを教えてくれました。
荼吉尼天の秘密 再販
おかげさまで荼吉尼天の本が重版になります。感謝。合掌。
扉は信仰なしにできない
「霊障なんです」とか「呪詛されているんです」とかのっけから自己判断で言ってくるが大体99パーセント思い込みだ。
それが証拠に話を聞いてみると「なるほど、これは霊的存在の仕業に違いない」などと言う具体的な話はまずない。
そんなのに付き合うのはごめんだからその言葉が出た時点ではじめから私は断ることしか考えない。
医者に行っていきなり「癌なのですが」というようなものだ。
相手にしてもらえるわけがない。診察からやり直しだ。
ましてやアリもしない呪詛だという話をもとにかりそめにも相手を調伏するなど大いなる罪だと思う。
霊障は存在しないわけではなかろう。
だがそれが本当に霊障なら受けるべき原因があるはずだ。
なにも訳もなく霊的存在が人を襲うことはほとんどない。必ず理由はある。
稲荷神社の前を通ったので狐につかれたなどと言うのは聞く価値も感じない。
ごくまれに霊の吸い取り紙みたいな人もいるにはいるが・・・
呪詛だって素人の呪詛などそうそうきくものか。
世の中に憎まれている人は山ほどいて、なかには呪っている人もいるだろうがそんなのでやすやすと人が倒れるなら裁判も警察もいらぬ。
例えば大阪城落城の後、豊臣側の残党は徳川家を呪っただろうが260年も安泰だった。
家康自身も死は最近では胃がんが原因だと言われているが当時としては長生きだ。
霊障は存在しても多分に自分の側の問題だ。
もしそうなら、きちんとした信仰をして、開けっ放しで無防備だった自分の心にシッカリと開けたてする扉を作るほかない。
扉があいたままなら、いくら追い払っても泥棒猫も空き巣も入り放題だ。
それを信仰によってしっかりと作るほかないというのが私の考え。
私はそれ以外知らない。
だから信仰しない人は一切受け付けない。
この間も「お金がないんですけど・・・」とのっけから電話で相談してきた人がいるが別に寝たきりの方や天災の被災者、生き死にの問題でもない限り、お金は作ってきて規定通りにしてもらうほかない。
お金がないから大根一本でも無料にはならない。
そもそも思い返せば「霊障なんです!」とはじめから決め付けて言ってくる人にありがちなのは
働いていない。
だからお金に余裕はない。
お金は払えないけど・・・でもなんとかして欲しい。というパターン。
ようするに祈願とか信仰とか以前に社会的な問題が大きい。
お金を払う価値がないと思うならアクセスしないでほしい。
もしも、そういうのをサービス精神で一回祈祷したところでそういう「心の扉」などできっこない。
無意味だ。法に対する信頼を傷つけるのが関の山だ。
それを相手から自分が責められたくないという理由だけで祈祷するのは卑怯の極みだと思っている。いくら責められても構わない。
そもそも、お金を頂くべきか否かは私が決めるので相手が決めるのではない。
あくまで、こちらの判断で実際に一銭も頂かないこともあるが、はじめから「ただにしてくれ」などという人は問題外だ。
もちろんお金は決していただかない。なにもしないのですから。
かといって気休め本位で口先で「あ、それね。じゃあ拝んでおきますから大丈夫ですよ~」などと言うのは祈祷を本気でしてきた人間として絶対に言いたくない。
そんなのは法も人も仏もバカにしたことだと思うから「いたしません」としか言わないのだ。
霊障を相談しようという方は是非とも考えてみてほしい。
あるいはうちに相談するのは無駄なのだという理解でもいい。
快猫出現!
大型猫の“メインクーン”は、大きい個体で体重8キロほどになる。ところがロシアに暮らすメインクーンの体重は12キロにまで達し、今なお成長を続けているという。犬と間違えられることもあるほど貫禄溢れるその姿を、『The Mirror』などが伝えている。
ワンコというより怪猫ならぬ快猫です。驚いた。(笑)
いるだけでワンコより番犬ならぬ番猫になる。この猫の姿を見て家に忍び込む奴は少ないだろう。
チンピラ
NHKの視聴者の個人情報を不正に得て動画サイト上に公開した威力業務妨害の罪などに問われている「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」の立花孝志党首に対し東京地裁は20日、懲役2年6か月、執行猶予4年の有罪判決を言い渡しました。立花党首は判決を受けて記者会見し、「全く反省していない」などと話しました。
人をおどかしてというのはどうかと思う。こういう下品な人間が横行する。たしかにNHKにも問題はいろいろあろう。
私もドキュメントは眉唾半分でしか見ない。
だがどうあれ、これではまるでチンピラだ。国政も堕ちたものだ。反省しないというのだから上告がないなら実刑にすべきだ。
少なくともこんな人が世の中の政治を取りざたするのは考え難い。
犯罪者は国会議員の籍をはく奪すべきだ。
負けて目覚める喜び
最近、論破する。されるというような記事が多い。
論破して買ったような気になるのはいいがそんなのはまあ、遊びだ。
なぜなら相手を納得させてないで悔しい思いをさせたりしたりというレベルに見受けるからだ。
ギリシャのソフィストみたいなものだ。相手をいい負かすだけだ。
本当のことなど何もわからない。
議論に負けても正しくないとは言えないし、勝利しても正しいとも言えない。
いいまわしや口がうまいものの勝利というだけだ。そういう目覚めの議論に真実などない。
本気で真実を求める人なら負けてもそれを喜んだものだ。
負けることが新しい知識と真理への目覚めだからだ。目から鱗だ。
そういうものを実のある議論という。
比するにただの言い合いは見世物に過ぎない。