「霊障なんです」とか「呪詛されているんです」とかのっけから自己判断で言ってくるが大体99パーセント思い込みだ。
それが証拠に話を聞いてみると「なるほど、これは霊的存在の仕業に違いない」などと言う具体的な話はまずない。
そんなのに付き合うのはごめんだからその言葉が出た時点ではじめから私は断ることしか考えない。
医者に行っていきなり「癌なのですが」というようなものだ。
相手にしてもらえるわけがない。診察からやり直しだ。
ましてやアリもしない呪詛だという話をもとにかりそめにも相手を調伏するなど大いなる罪だと思う。
霊障は存在しないわけではなかろう。
だがそれが本当に霊障なら受けるべき原因があるはずだ。
なにも訳もなく霊的存在が人を襲うことはほとんどない。必ず理由はある。
稲荷神社の前を通ったので狐につかれたなどと言うのは聞く価値も感じない。
ごくまれに霊の吸い取り紙みたいな人もいるにはいるが・・・
呪詛だって素人の呪詛などそうそうきくものか。
世の中に憎まれている人は山ほどいて、なかには呪っている人もいるだろうがそんなのでやすやすと人が倒れるなら裁判も警察もいらぬ。
例えば大阪城落城の後、豊臣側の残党は徳川家を呪っただろうが260年も安泰だった。
家康自身も死は最近では胃がんが原因だと言われているが当時としては長生きだ。
霊障は存在しても多分に自分の側の問題だ。
もしそうなら、きちんとした信仰をして、開けっ放しで無防備だった自分の心にシッカリと開けたてする扉を作るほかない。
扉があいたままなら、いくら追い払っても泥棒猫も空き巣も入り放題だ。
それを信仰によってしっかりと作るほかないというのが私の考え。
私はそれ以外知らない。
だから信仰しない人は一切受け付けない。
この間も「お金がないんですけど・・・」とのっけから電話で相談してきた人がいるが別に寝たきりの方や天災の被災者、生き死にの問題でもない限り、お金は作ってきて規定通りにしてもらうほかない。
お金がないから大根一本でも無料にはならない。
そもそも思い返せば「霊障なんです!」とはじめから決め付けて言ってくる人にありがちなのは
働いていない。
だからお金に余裕はない。
お金は払えないけど・・・でもなんとかして欲しい。というパターン。
ようするに祈願とか信仰とか以前に社会的な問題が大きい。
お金を払う価値がないと思うならアクセスしないでほしい。
もしも、そういうのをサービス精神で一回祈祷したところでそういう「心の扉」などできっこない。
無意味だ。法に対する信頼を傷つけるのが関の山だ。
それを相手から自分が責められたくないという理由だけで祈祷するのは卑怯の極みだと思っている。いくら責められても構わない。
そもそも、お金を頂くべきか否かは私が決めるので相手が決めるのではない。
あくまで、こちらの判断で実際に一銭も頂かないこともあるが、はじめから「ただにしてくれ」などという人は問題外だ。
もちろんお金は決していただかない。なにもしないのですから。
かといって気休め本位で口先で「あ、それね。じゃあ拝んでおきますから大丈夫ですよ~」などと言うのは祈祷を本気でしてきた人間として絶対に言いたくない。
そんなのは法も人も仏もバカにしたことだと思うから「いたしません」としか言わないのだ。
霊障を相談しようという方は是非とも考えてみてほしい。
あるいはうちに相談するのは無駄なのだという理解でもいい。