最近、論破する。されるというような記事が多い。
論破して買ったような気になるのはいいがそんなのはまあ、遊びだ。
なぜなら相手を納得させてないで悔しい思いをさせたりしたりというレベルに見受けるからだ。
ギリシャのソフィストみたいなものだ。相手をいい負かすだけだ。
本当のことなど何もわからない。
議論に負けても正しくないとは言えないし、勝利しても正しいとも言えない。
いいまわしや口がうまいものの勝利というだけだ。そういう目覚めの議論に真実などない。
本気で真実を求める人なら負けてもそれを喜んだものだ。
負けることが新しい知識と真理への目覚めだからだ。目から鱗だ。
そういうものを実のある議論という。
比するにただの言い合いは見世物に過ぎない。