金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

本当に凄い人だなと思う。

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 半世紀を優に超えて歌手や俳優として活躍する杉良太郎(78)は、60年以上にわたって私財を投じた福祉活動に取り組んできた。「特別矯正監」「特別防犯対策監」などに任じられている杉は、どのように矯正施設の改革に携わってきたのか。その思いを本人が語った。

 

中井貴一さん主演でやった大河ドラマ「武田信玄」の中で杉良太郎さんは北条氏康を演じた。

中村勘三郎さんの今川義元。柴田恭兵さんの上杉謙信。みなよかったが杉さんは登場回数は少ないが特に印象に残っている。

杉良太郎さん、俳優としても素晴らしいがこの人は本当に凄い人だなと思う。

こういう人の前で恥ずかしくて菩薩行の話などできないくらいだ。

海外の親のない子どもも大勢養子にしている。

いつまでもお元気でいて欲しい方だ

星祭終了 御礼とお詫び

後から頼みそこなったという方にも縷々対応させていただきましたが、キリがない状態ですので遺憾ながら本日で完全終了とさせていただきます

あとのご希望の方は他院へどうぞ。

なお、たのんだはずなのに来ないという方、星がまちがってるという方などの 当方のミスに限り引き続き対応させていただきます。早期にご連絡いただけますようお願い申し上げます

 

全部で五百五十件を超えるお申し込みをいただきました。

手でひとつひとつ入力しておりましたので抜けている方もありました。

まことに申し訳なく謹んで御礼とお詫びを申し上げます。

お許しくださいませ。

合掌。

傲慢で勘違いしていますね。

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これも愛知の県議と同じ極めて愚かな人間だ。

思うのは勝手だが(そう感じるのはどうにもならないだろう)口にしていい立場ではない。

息子も「お廻りは高卒だろ」などだというからかなり傲慢だ。

まるきり江戸時代の旗本のバカ息子みたいだ。

親がバカだからだ。

日頃から人を人とも思わぬ家柄なのだろう。更迭されたら冷や飯でも食べて頭冷したらどう。

こういう秘書がよくあるようにやがて政治家になるなどまっぴらだ。

そのまた二世もそうなるなんか国の災いだ。

 

親子そろって自分体をなにか偉いもののように思っているようだが、党内にいわせれば「たかが秘書ふぜいの分際で勝手なことをほざき首相の足を引っ張るな!」などと逆に言われるだろう。

 

ただし馬鹿げた最近の風潮で一家にLGBTの人がいたら、歓迎するとか、喜ばないといけないなどというのはこれまた噴飯ものだと思う。

 

たとえば息子がゲイで孫の顔が拝めないことを悲しむ親もいて非難すべきではなく自然であると思う。

無論そのことで当の息子さんを責めることには何の意味も正義もあるまい。

まったく悪いわけではない。だが親の希望は希望だ。

それはその人の人格なのだからそれを尊重するなら受け入れるほかないだろう。

だとしても親の想いもまた抑圧されたり弾圧されるべきではないだろう。

頭左巻きの人はそこがわからない。

 

多少違う話だが・・・

昔、「在日韓国人3世の人と娘が結婚したいというので成立しないよう拝んでください。うちはそもそも由緒正しい家なのに云々・・・」という依頼があった。

「好き嫌い自体はあなたの勝手だからとやかくいわぬが、そんなことは神仏に拝む理由にはならない」と帰っていただいたのはいうまでもない。

金剛不壊

先ほどの記事を書き終わったら、風狐さんから「汝はそのこと今頃ようやくわかったのか?遅すぎだな。」といわれた。

また、「この折り、教えてあげよう。金剛とはなにかを。

金剛不壊という言葉があろう。

 

だが、なにをもってしても永久に破壊できないもの、だが実に金剛不壊なるものなど何一つない。

永久になくならないものもない。

 

だが何度消滅したかに見えてまことに消えないものけそれこが金剛だ。

人の菩提心は一度仏縁あれば不滅だがさりとて人もは死にもすれば迷いもする。

消えたように見えて消えないもの。

冬の木の枝のごときも枯れて見えても春くれば再び花咲きて葉もい出すであろう

それを金剛という。

迷いなき人はない。菩提の道もまた遠し。

だが汝、持金剛者にてあれ。」

浄と不浄 2  森の浄化力

昔から神様の神域に森はつきものだ。

森の浄化力というものは大したものだ。

森にだって動物の死骸や糞など出るだろうがそれをすべて森は栄養に換えて生きている。

だがそのエネルギーに変えられないプラスチックや化石燃料由来の品物を森に捨てることは大きな不浄だ。

たとえトイレがなく森で排せつ行為をしてもそのほうが不浄でない

森は自然物ならエネルギーに変えられる。

だから浄いのだ。

神仏も同じ存在、問題をエネルギーに変えることこそその働きだ。

我々も同じだと思う。

浄くあるということは汚穢に触れないことではない。

それに触れることを恐れることでもない。

清らかとはそういうことだ。

浄化できるということにほかならぬ。

穢れを穢れとして扱えばその穢れはどこまでも無くならない。

穢れは変換してこそ穢れでなくなる。

それを浄という。

熊野信仰では上流から流れてきた水死人に群がるカラスは神の使い。

そこに浄化の働きがあるからだ。

 

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