金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

責任は取るべきでしょう

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先月末に、回転すしチェーン「スシロー」で金髪の少年が共用のボトル醤油に口をつけて舐めたり、レーン上に積み上げられている飲み物を飲むときにセリフで取る湯呑を手にとるとペロペロと舐め回して元の位置に戻す動画がSNS上で拡散され大炎上。会社側が被害届を出すなど大きな問題になっている。

その後、SNSではほかにも客が迷惑行為をしている動画が拡散。この日の番組では、「スシロー」で、男性客がレーンのお寿司をそのまま手でつかんで口に入れた後、共用のボトル醤油をそのまま口に流し込む動画や醤油をわざと座席にこぼして笑いあっている動画を紹介。番組の取材に対し、スシロー側は「2つの動画を認識している」とし、「必要に応じて警察にも相談していく予定です」と話した。

そのほか、うどんチェーン店で迷惑行為を働いている動画も紹介されたが、一連の迷惑行為に対し一茂は「安易すぎるとしかいいようがないです。こういうアンポンタンどもだから、こういうことをやっちゃう」と呆れると、「これはもう立派な威力業務妨害という犯罪」と一刀両断。

 

 

長嶋氏の言うとおりだと思う。断固制裁あるのみ!

このような悪ふざけが大事に至るということを教えなくてはならなない。

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失礼ですがこの先生頭変ですね。これってミスですか?

そこで働く人の生活にまでかかわることだ。極めて悪質な営業妨害ではないのでしょうか。

そういうつもりであろうが無かろうが結果に違いなどない。

歓喜童子ご分霊   上願寺さん

聖天浴油三百か座の成満を記念して出される予定の歓喜童子像

総白檀です。小さいながらも線香立てつき厨子入りで大変凝っています。

天尊にふさわしい宝尽くしの袋入り

                  蓮華をあしらった厨子 落とし戸仕立て

                  

大きさはこういう感じです。

             

夏には上願寺で聖天信仰始まります。

新しく信仰したい方は請うご期待です!

ただし・・・

思うに既にどこかで聖天信仰している方はこの尊像は遠慮すべきです。筋が通りません。

普通のお守りや縁起物の類などとはわけが違うのです。

 

 

世のなかには少しでもよさげなものならどうでもなんでも構わず入手したいというひとがいます。

それは愚かな欲心のとりこであり、その心を「愚かな奴!」と天尊はお嗤いになるでしょう。

私もお他所の尊天の御信者様の祈願は拝みません。

 

浄と不浄

密教では塗香というものを使います。これはお参りに先立ち、身を浄めるものですがインドのような国は随所に水が出ているわけではなく簡便に身を浄めるのは香木で手をぬぐったのでしょう。

清浄ということは大切ですが、その昔一休禅師が村の地蔵尊の開眼を頼まれて小便をかけて「はい、開眼終わり」とやった話は有名です。

村人は激怒したが地蔵尊はそののち霊験をあらわしたという。

インドでは牛の糞は浄いと考えます。牛からインド人になくてはならない乳製品がとれる、だから牛から出たものは浄いという信仰があるのでしょう。

それで糞が地面に落ちる前に皿でとり野外の護摩壇の材料にする。

 

「一休さんの故事などを考えると浄と不浄がわからなくなります」というひとがいました。

「一休さんは偉いから罰が当たらなかったのですか?」というがそうではないでしょう。

「抑々あなたのいうえらいってどういうこと?」

・・・まあ、浄と不浄ということがわかっいたのだというならそうだと思う。

 

確かに本来的に考えれば神仏を丁寧に供養すべき仏教でそのようなふざけあことがあっていい筈もないが・・

 

改めて浄・不浄とは何だろう。

例えば昔は野菜でも米でも作物は肥やしをかけた。

肥しは清いものではない。でもそこから口にする大事な食物が育つ。

間接的に肥やしを食べているともいえよう。

それをまた仏前にも備えています。

そうなると不浄と浄はそんなに別々なものじゃないだろうと思う。

例えば土もそうですね。土は食べられないが土の養分はそういう食べ物を通じて確実に頂いている。

 

そう考えれば本来浄も不浄もない。土も肥やしも絶対的な毒じゃないでしょう。

人間の不浄と思う肥やしは作物にとっては大切なもの。浄いものです。

要はそれを浄と受け止めるか、不浄と受け取るかは相手次第なのだ。

現代人にはしばしばそこに異常なこだわりがある。

土も触れない人もいる。お気の毒と思う。

修験道では山中で水もなく草で手を洗う作法もある。

とくに宗教的には観念が洗えれば浄であるだろう。

必ずしもモノではないね。

一番の不浄は無関心なこと。

おまつりしていても神仏に無関心で花も枯れはててお供えなど干からびても放ってあることだと思います。

 

 

今朝のお献立

6時半、木魚の音が聞こえてくる中、おかゆ作り、お正月、お餅に敷いていた昆布から粉を払ってだしをとります。

 

今朝はこんな感じ 加行者の朝飯としてはかなり贅沢ですが食材がすこし余ってますので早く使わないと(笑)

私も身におぼえがありますが行中、あえて俗な楽しみといえばお食事のみですので、それ思うと世のオバサマ的心が湧いて、どうしても下手ながら色々作ってやろうと思ってしまいますね。よくないね。

 

私の行中は叡山は山椒の実の季節です。

毎日、山椒の実と具のほとんどないお味噌汁でした。

連日の山椒の実が辛さきつくておなか壊した行者もいた。私は大好きでした。

 

加行者四日目の夕飯

今は昔とは違い色々な食材が出回っていて野菜料理でも色々作るのに大して苦労しませんね。

加行者四日目の夕飯です。三度の御膳の上げ下げ、風呂を掃除して沸かしたり、加行者の出すごみを焼いたり・・・食事は七時、十二時、十八時

師匠が小僧になる一週間 

今夜は大豆のツナサラダ 冷ややっこ 菊と冬瓜の中華風汁物

金柑の甘煮です。当院のご飯は玄米がベース

密教やりたい人は結構いるけど…ただでさえ忙しい。毎度こんなことできません。

だから気の毒だがやりたくても素質のない方、趣味みたいな感覚の方の修行は御断り。

むしろ希望者の中でOKできる方はごく少ない。今後はもっと少なくなるというより、もう誰もいないから今後は全くないかも。コロナの流行も大きく災いしました。

今期の行者が最後かもしれません。

というより私自身もいつまでお給仕できるかしら (笑)

得度は配偶者が不承知なら断っています。

この間。得度希望の方。

既婚者の場合は必ず、宗派に出す書類の保証人(親族)は特殊事情でない限り、配偶者に頼んでいる。

夫婦というのは完全に一人じゃないからね。

「そんなことは勝手だ」じゃすまない。

配偶者が押さない場合は許可しません。

別に配偶者自身が信仰までしなくていいんですけどね。

 

そうでないと怪しい宗教にのめりこんでみたいに言われたら迷惑ですから。

 

大分昔の話だけど絶対得度したい男性、宗教大嫌いな奥さんがいる。

「信仰するのは自由だけど得度までするのは奥さんが不承知じゃだめだね」といったら

「そこを曲げてお願いしたい。保証人は親に頼みます」という。

「そんならいっそ、離婚したらどうです」と言ったらあきらめて帰られた。

それでいい。

離婚なんかはできないだろうとみてそう言っている。

聞けば働きながら家庭のことも子供のことも中心的にしてくれている。

良き奥さんだ。

関係ないわけない。

得度以前の問題だ。それが解消せず修行なんかになるものか。

 

 

ある遺産問題

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私に相談が来たこれより酷いはなし。ふた親の葬式にも両方顔を出さない長男がいて遺産だけはよこせという。

嫁がクズ、会って開口一番・「わたしはここの家にお嫁に来たわけじゃないからお母さんやお父さんのメンドーは一切見ない。そう思え」という宣言だった。

 

こんなろくでもないクソ女もらった長男はもっとドクズ。

そいつが嫁の言いなり。嫁に引っ付いて家を出た。

で親が倒れても見舞いにも来ない。ただの一回も。

看病も葬儀もすべて長女がやった。

 

で、亡くなったと知ったらあとから俺にも遺産よこせとだけしつこく手紙でいってくる。

 

長女はそんな長男にはびた一文も絶対渡したくない。法律はともかくそりゃ心情的にはよくわかる。

 

「どうしたらいいでしょう…?わたさないといけないものですか。」というので「まあ、いいから、相手にせず放っておきなさい」といっておいた。

私としてはせめて実家の霊前に焼香してからの話だろうと思った。

その後の手紙は時々あったらしいが…つどつど放っておいたという。

かくして一年半を過ぎたほどたったある日

「まだ、しつこく言ってくるのです。遺留分がどうこう。」

不思議に思ったのは弁護士立ててきてるなら話は動いているはずですが・・・

「あ、それ正式に異議申したてしてきたことないよね。一度も。もう期限切れ。無効ですよ。もう終わっている。全部あんたのもの。」

 

ザマアミロだ。

 

ダメな責め構造

現代はコミュニケーション不足。

結婚とか恋愛とかの相談でなかなか付き合いができない。

そういうことは日常茶飯事。

 

相談にきて「たとえ付き合ってもすぐにダメになる。私ってつまらない人間なんです・・・」と肩を細めて言う人もいる。

「毎回それでだめなんだと思う・・・」とかいう。

 

ちょっとまってください。

それ言っちゃおしまいだ。

 

アンタどこまで相手サイドの人だ。

そんな風に思う必要ないでしょ。

相手こそ自分にとってつまらなかった。だから盛り上がらなかった。

それだけのこと。

ダメダメ感を積もらせるのはそういう自分責め構造ですぞ。

 

想うのは自由だが政治的理由と程遠い。

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まさに私はそう思うのは勝手だと思う。

そこは絶対自由の領域だから。

そこを否定することはできない。

その意味ではこの人はまったく悪くない。

 

だが同じ理由で「女性は要職に就くべきでhない」

「外国人は気味悪い」

「障碍者は痛々しいから見たくない」などと思ったからと言ってそれを「公言」したらどうなるか?

 

しかもこの人は公職にある県会議員だろう

酒の席で仲間うちでしゃべっとかなら別でも個人の感想で済むが公言したらそうは行かない

 

想うこととアファメーションは違うということもわからない。

申し訳ないが「この人はバカだ。」と思う。

でもこの人「みっともないから禿は引っ込め」と言ったらアンタ怒るんじゃないの?

頭の薄いことをどう思うかは個人の勝手でもね。(笑)

 

先に岸田首相は「同性婚」について社会の家族に対する価値観や宗教観を引き合いに出して否定的であった。

だが賛否は措いてこれはこれでひとりの政治家の見解としてわかる。

だが「気持ち悪い」という理由は問題外だ。口にすべきではあるまい。

 

あなたの基準で世の中はできていない。