荒神経の話自体は前回で終わりましたが、ここに三毒神のお話をしておかねばなりません。荒神経に出てくる天女が実は弁天様である御話はしました。そこで三毒神の詳しいお話を理解するには我々は弁天様の御経にたずねないといけません。
弁天様の御経で三毒神が出てくるのは「宇賀神将福徳円満陀羅尼経」という御経です。ここでも弁天様は荒神経に出てくる三毒神を降伏する真言「オンアギニビキャラウンソワカ」を説いています。ここでは三毒神のことがより詳しく説かれます。まず「飢渇神」ですが、その姿は餓鬼の様で黒雲のような色をしています。餓鬼と云うのは栄養失調で御腹が大きくなって上半身がガリガリに痩せた鬼です。また「貪欲神」と云うのは五色の蝦蟇の姿です。「障礙神」はとらえどころのない黄色い雲のような形であるといいます。これらは各人の頭の上を天蓋のように覆って福徳や愛敬といって福分がその人に届かないように邪魔しているのだと言います。
そこで弁天様の頭上の冠の中にいる宇賀神という白蛇の神様は貪欲神を降伏し、弁天様の持ちものである剣は障礙神を降伏し、如意宝珠は飢渇神を降伏するとされています。三毒神の中で我々の心に直に関するのは貪欲神です。飢渇や障礙はその結果でしかありません。そこで宇賀神が貪欲神である蝦蟇の上にとぐろを巻いて抑えているお像がしばしば存在するのです。つまり、この蝦蟇は我々の貪りを表わしているのです。宇賀神さまが蛇体なのはこの蝦蟇を降伏するためなのです。蝦蟇は蛇を苦手とするからです。貧乏や障礙を無くそうとするなら、まず「貪り」の心を無くさないといけません。「貪り」の本体はつまり「不足の心」だからです。
毎日一生懸命働くにしてもただ「不足」の想いから働くのでは不幸です。すでにあるものに感謝して、まず心を豊かにしなくてはいけないということです。よく言われることですがコップに水が半分入っていたら「水がない。」と考えるのか、「水がある。」と考えるのかというその違いです。私たちはお金が足らなくなると「無い」「無い」とばかり思って苦労します。しかし、この「お金が無い」という感覚は経済状況に」よらず心の中に残ってしまいます。そうなると我々は常に不足の感覚のもとに生きて行かないと鳴りません。これが「貪欲神」の働きということになります。ですから貪欲神を追い払うにはまず心そのものを豊かに持つことです。
もしどうしても不足の不安や金欠の恐怖心が起きるのなら、その気持ちを五色の蝦蟇にしてみてください。そしてそれを真っ白なヘビがおさえてしまうと観想しましょう。そうすると蝦蟇が逆に沢山の宝物を吐いて我々に与えてくれるとイメージしましょう。こうした「イメージ」は「想い」より強く私たちの心に作用します。