金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

霊障のお話

思い込みの強い人ほど面倒なものはありません。
特に霊感があると豪語してくる人は大体そういう御方がほとんどです。
話を聞いていても「それっていうならば、霊感じゃなくて霊障じゃないのですか?」と思うような内容。それを半ば自慢げに話す人もいます。
しかもさらにいえば霊障を訴える人も霊じゃなく精神疾患がほとんどのように思えます。
思い込みの強い人は人の話は聞きません。それで責任だけ押し付けてきます。
「狐がついているんです。」などと自己診断しておいて、それをとってくれなどという人はまず相手にしないことにしています。
だってこれって初診で医者に行っていきなり「私って胃癌なんです。なおしてください。」というようなもの。
この態度がまずもう駄目です。病気です。
それをいうなら症状を言うのです。たとえば「頭の中に狐の姿が見えるんです。」とか耳元で「俺は狐だ」と云う声がするなどと云うのが正解です。そこで「絶対に狐なんだ!」と云うのは飛躍がある。「そんなのが判るくらいなら自分でとれば?私には判りません。」といいたい。
第一、実際、うちは生きた狐は飼っているけど狐はそんなに悪いヤツじゃないよ。()
下手に「一度、病院を訪ねた方が・・・」なんていおうものなら怒り出しかねないのでこういう人はむつかしいです。
なかには「もう、いっています。」という方もいます。
でも治らないから霊なんだと思う。
まあ、セラピストの腕にもよりますし、病院行っても薬くれるだけ・・・だけどね。
でも、本当に霊障であってもある程度、薬物などの対処療法は効きますよ。心理セラピーで本当に心が変われば症状はとれてしまいますし。
全然効かないのは本人が治るのを拒否しているからです。
心理学的に言えば「利得」があるので治りません。
利得とはつまり霊障のまま都合がいいとか、もしくは治っては都合が悪いとかがあるのです。そこには矛盾している心の構造があります。
こと、自分自身に関してはいかなる霊より自分の心的エネルギーの方が強いのです。ここが大事です。
本来の心的エネルギーがきちんと働き出せばそういう霊はついていられないのです。
二次的にそうした精神のひずみに隠れ住むようにやってくる良くない者共はいます。
彼らは本人が本来の心的エネルギーを取り戻すのは困るので邪魔はします。それは多いですね。
でもそれは臭いものにたかる蠅のようなもので根本原因じゃない。ここでいう臭いものとは病んだ心です。
原因はあなた自身の心以外ないのです。
恐怖や憎悪、復讐、私は罰せられなくてはいけない。あるいは私は愛されない人間である 親に望まれない存在だなどと云う心です。あるいは自分の怠けや劣等感を「霊障」を隠れ蓑で隠している人もいます。
実際どこへ行っても治らないのはなかば私は本当に霊障なんだと証明したいためです。自分にも周囲にも納得させたい。
そうした心が奥の奥のほうに毒蛇のようにわだかまっていて「俺は霊障とは関係ないよ。」とうそぶいているのです。
心の流れは過去のトラウマなどにつかまってしまって健全に機能しなくなっていることも多いものですから。
だから訴えたいことは霊障という形で出しているわけです。
本当の霊障であってもこれは同じこと。実は霊が原因ではないのです。あなたが原因です。
だから心の掃除以外に本当の道はありません。
そして仏教本来のやりかたはこれに尽きるのです。
霊能者に霊を強制退去させてもらっても、それは臭いものにたかる蠅をおいはらうようなもの。すぐにまた戻ってきます。
心の健全な流れってなんですか?
感謝する心、慈しむ心、人の役に立ちたいと願う心、素直に喜ぶ。素直に悲しむ。素直に怒るけど、あくまで前向きに歩む心です。そういう心は表現も豊かなのです。
霊障を訴える方は霊障自体を別にしても私は幸福じゃない!自分なんて大嫌い!という人がほとんど。
だから極端に言えばまず幸せになること。まずは周囲に喜びを見つけることですね。