金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

恩知らずの先祖供養


東京では七月がお盆。
それで先祖供養の相談があると、時々霊狐さんが「お前たちは本当に恩知らずだな」という。
どういう意味かというと「あの世の可哀そうな先祖を何とかしたい」というのは先祖供養ではない。

先祖の恩恵を思い、報恩謝徳の心でするのが先祖供養だというのです。
その霊狐さんが云う先祖は「個々の家の先祖を祀る。しかし、まことには皆等しくお前たちの祖先に謝するのだ。今日あるのは全てお前たちの先人のお陰であろう。違うか?いきなり今のお前たちの暮らしがあるわけではない。」

それをだれかしらが迷ってるからなんとかしてやるなんていうのは違う。
少なくとも本義ではない。
なにより報恩の心なくしては先祖供養にはならないのだという。

可哀そうな霊を救って徳を積むというのはお施餓鬼ですることです。
拙寺で浮かばれぬ人の為にする特別供養・七日間精霊供養というようなものの心と通常の先祖供養はまた別な心でするものです。


故に先祖を輝かすには浮かばれていない先祖を祈るのではなく、むしろ先祖の内の力あるものを祈るのだという。
その先祖を通じてほかの先祖も輝くのだと霊狐さんは言う。