金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

霊的防衛の要、靖国神社

今日は亡き叔父の位牌とともに靖国神社に行ってきました。
叔父はフイリッピンで戦病死しました。遺骨は来なかったそうです。
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              なかなかけっこうな人出です。
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お参りは30代から50代と思しき中堅年代の人たちが多いですね。
もはや戦争体験者の方ははほとんどいないでしょう。
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 参拝直前に靖国の大屋根に太陽がちょこっとだけ出現。どこかにお参りに行きますとこういう現象が良くあります。なんなのでしょうね?叔父上。
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   就遊館。お参りのあと初めて行きました。ゼロ戦があります。

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子供たちが描いた就遊館展示物の絵。戦時中にタイムスリップした感があるけど・・・ちょっと驚きます。この程度はどこの国でも当たり前のことでしょうが・・・個人的には銅像、境内や大鳥居、お社の絵の方がいいとは思います。

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今回行ってよく分かりましたが、「靖国神社」は明確に帝都防衛のかなめになってる最大級の霊的フィールドです。
おそらく東京で、否、日本でも、これほどのパワーを持ったところはほかにないでしょうね。
それほど国を護るという念が集まり集合無意識となって今も力強く働いています。
なるほど神道式の祭祀をしたわけがわかります。
仏教ですとあちらにいくけど、神道だと「残留思念」は残るんだなと思いました。魂魄のうち魄は浄化されればそのまま神として機能する。
日本の神様もおおむね、自然神か古代の偉人たちの魄なんですね。
なかなかの霊的達者が靖国創世の裏にはいたはずです。
思うに靖国がある以上は、東京は、そして日本はまず安泰ですね。
そして我々がここに参ることによってその念は増幅され活性化されます。
だからこそ日本を愛する人は必ずいくべきところです。
安倍さんも堂々と行けばいいのに。
わたしもA級戦犯だろうが、なんだろうがすべてに敬意を表してお参りしてきました。
茶番劇のような東京裁判でいかになろうと日本人にとっては皆すべて同胞です。敗軍の将が死なねばならないことは世の習いですが、死してなお永遠に罪人にするというのは前代未聞の卑劣さです。
日本の名のもとに日本人として命を懸けた人は誰であれことごとく同胞なのです。
国際的にはどうあれ、民族にはそういう民族の考えはあってしかるべきではないのかと考えます。
清朝を倒した国民党は西太后のお墓まで暴いて死体を辱めたといいます。
朝鮮王朝には死してなお棺桶を暴き首をはねてさらすことで罪を問う「剖棺斬首」という刑罰がありました。
日本にはそういう考えはない。
死ねばリセット。死ねばほとけさま
あの織田信長でさえ、桶狭間の戦いで打ち取った今川義元の首級を葬儀の際に今川家に返還しています。
その辺の感覚も違うのです。
日本人にしかわからない日本人の信仰です。
同じ東洋でも中国、韓国の人にはわからないと思う。
民族が犯した過ちがあるとするなら民族としても責任はとらねばなりません。でもその同じ民族同士であいつらは俺たちとは関係ないんだということは許されません。A級戦犯も軍部も私たちもひっくるめて同じ日本人です。
それを分離する卑怯な考えを我々に叩き込むべく推し進めてきたのがアメリカ政府であり、かたや日教組です。日本民族分断政策です。
戦前の日本国民と日本政府は全く別々な被害者と加害者に分けられ、その区別を決して忘れてはならないと私たちは教えられてきました。
もちろん、戦前の政府によって国策として作られた「靖国の思想」はあるのでしょう。
しかし、死してのちはそこに集おうという気持ちひとつで命を懸けた個々の人々の心はやはり尊いものです。
私が信じ大事にしたいのはそれです。
仮に譲って戦前の日本政府がいかに悪辣で愚かであろうとこの人たちを忘れ去ることはできません。この人たちあっての今日なのです。
靖国神社には「死してのち靖国で会おう」と誓いのもと国のために命を落とした方々の尊い心が集まっています。
そして今も純粋な英霊たちの日本を護ろうという心は生きているのです。
だから戦前の国策がどうあれ、いかに戦前の政策が非難されるべきものであれ、今も、そしてこれからも靖国でなくてはならないのです。
靖国神社へ行く人が増えると軍国主義につながる?
靖国の英霊は戦争なんて決して望みませんよ。自分たちが一番戦争の残酷さ、悲惨さを知っていますから。
だから靖国こそは世界平和を祈願する神社なのです。 
無宗教の国立墓苑など片腹痛し!中国政府や韓国政府に見ていただくためにつくるのでしょうか?
同じ日本人でありながらどこまで英霊を侮辱したいのでしょう。
そんなものはクソくらえです。
叔父上もそう思いませんか?