金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

聖天供は女天の法と言いますが…

元旦、単身天の次第で水歓喜天用の六臂像を拝んでみました。
前にも六臂像拝んでみたけど、意外と拝みやすい。
拝めばすぐにお喜びくださるし・・・・御嘉納くださる。
一般には単身天は怖いというけど、私の感じでは修法やっていて緊張するのはむしろ双身天のほうですね。
つまり、十一面観音が怖いんです。歓喜天を善導する役割で双身天になっているのですからその厳しさが強い。
歓喜天供は一名「女天の法」と言われるゆえんもこの辺にあるのでしょうね。だから男天でなく女天を手前に置くのが本義とします。左前だの右前だのるけど。

その辺は亡き師もキビしいのは十一面様と言っていました。
十一面観音はただでさえ厳しいですもの。妥協ゼロ。
それがお目付け役というかマネージャーというか聖天様の調整役になっている。
聖天様(男天)はどちらかというとサーヴィス精神満点ですから、なんでも気前よく叶えてしまう。
まあ、そういうええ格好しは天部の常。
でもそれでは終いに脱線してしまう。

そこを首根っこ押さえているのが怖ーい奥方なんですね。
でもこの奥方がいないと暴走しかねないんでしょう。
だから双身天の怖さはそのまま十一面観音の厳しさと言えそうですが、単身天の怖さはそういう本当の怖さ。極端に言えば魔性の怖さ。
でも表面的にはむしろ馴染みやすさがある。
まあ、いってみれば若い独身男性の気軽さみたいなものもある。
最も好き嫌いはガッチリありそうですけどね。
嫌いだとなったら長い鼻で笑われるどころか、バチばらわれてしまいそう。急に怒りそうだし。
やはり夫婦が善く長くもっていくのは、実はそういう旦那が頭の上がらないコワイ奥さんがいてこそなのかもしれませんね(笑)

まあ、単身天というのは密教では珍しいけどインド的に言えば普通のガネーシャ像なんでしょう。
私はガネーシャさんをガネーシャさんとして拝みこんだことはないんですけど、「ご利益のあるきさくな神様」というイメージですよね。
バリ島の密教遺跡にお参りにいったら鬼子母神と単身歓喜天の古い像がありました。バリヒンドゥーのお寺じゃないんです。(もっともヒンドゥー教徒の方が沢山お参りしていましたけど。)
これは聖天尊が単身でも拝まれていた証拠です。むしろ最初はそうだったんでしょうね。ほかの天尊と同じで。
でもそこから双身像が生まれてきた。
古来、密教の書で聖天は双身像を最勝とするというのは深い意味があるのだと思います。
聖天様を他の天部より珍重するのはこの観音様がセットになっているからなんでしょうね。
インドで歴史的に古い聖天の双身像はないというけど、たぶん無いからこ仏教のオリジナリティでできてきたんでしょう。

六臂単身天も水歓喜天供では観音様とセットで拝みますしね。
むしろ在俗の信者様には十一面様こそシッカリ拝んでもらいたいですね。