弟子からの相談
難病の信者さんがいてそれ拝むには弟子の判断で飯縄様と出たという.
この信者の郷里にはお稲荷さまがある。
結構そのあたりで有名らしいんです。
どうも神道のお稲荷さんですね。
それは最前からこっちも感じる。
やはりそうか、稲荷がらみかと思うけど・・・稲荷の加護がいるのに飯縄様?はどうだかわからない。
一応感じることは言いましたがでもそれはこちらの判断です。
そういうときは基本、行者さん本人の判断で行く。余計なことは言わない。
出過ぎたこと言えば筋目が立たない。この人のすべき案件。指揮官はこの人。
助太刀は助太刀で指揮官ではない。
この人はこの人でいっぱしの能力者。オーラとかチャクラとか見えるという。
私は全くそういうのわからない。
そしてなによりも、かれも行者ならわれも行者です。
厳密に言えば行者の考えはみな違う。
たとえ違いがあったにしても何故私だけが正しいなどいえようか?
師だとて口出すことにては非ず。
きかれていないことは言わない。
弟子も独立したら弟子にして弟子に非ず。
好きなようにしなさい。
聞きたいことは飯縄様の拝み方?ですか
飯縄法で拝んだらいい。
簡単なことです。
でもどうもこの信者さんは先行き稲荷さんを拝まなきゃいけないのかなあ・・・とも思う。
でも、そこは慎重でいい。今はいらない。
神仏は慌ててお迎えすることはいらない。
人間の都合ではね。時期を待たないお祀り、人間の都合中心のお祀りはお祀りにならない。
そもそも、それも私の思い込みかもしれないし。
だから、まあ少し成り行き見てからでいいか・・・。