神々にはいろいろなお使いの生き物がいます。
古来人々は神仏とそうした動物を目撃したり、出会うことに特殊な縁を感じました。
もちろん、動物は動物です
特別な存在ではないでしょう。でもそこに共時性が働くことは現実にあります。
どうしてそのような野山に住む動物である存在がその人の信仰の世界にかかわるのでしょう。
それは私たちの存在とは、実を言えば私たちの周囲に展開している環境と一つだからだと思います。
狭義の我々はこの我々自身の肉体ですが広義でいえば体験すべて私たちなのです。
眼に触れる虫や雲や体に触れる風も投げかけられる言葉も私たち自身です。
そこに分かれ目などないのです。
例えば易や占卜が当たるのも原理はそういうことです。
すべてが時々刻々ホロンの構造を展開している。
台風の通過したあと千葉の講員様からのメールです。
「 羽田先生
いつも大変お世話になっております。台風でしたが幸い自宅、アパート2棟とも確認に行きましたが無事何事もありませんでした。
夕方、1時間半のウォーキングしました所、
なんと小学生以来数十年振りにムカデ2匹を道路で見かけました!
見た瞬間、鬼門除けで御札を頂きました「毘沙門天様」のおしるしだ!と思いました。
自宅や入居者様が無事に台風をやり過ごせたのも御本尊様、聖天様、毘沙門天様、準堤仏母様、妙見大菩薩様皆様のお陰だと思います。
こじつけ?と思われるかもしれませんが、ただただ、ムカデを見た瞬間にそう思ってしまいましたので。
深く感謝申し上げます。
取り急ぎ、ご報告と御礼まで。」
このムカデは地面の割れ目になんとか入ろうとしていますね。住処から押し流されて道まで出てきたのかな。