馬頭観音は個人的には十一面観音に次いでよく拝む観音様です。
日本では牛馬の供養のために馬頭観音を祭りましたが、実をいうと儀軌にはそういう動物救済の話は出てきません。
ただ天台大師が言う六観音の中で畜生道を救うという獅子無畏観音がこれにあたるとされるだけです。
にもかかわらず、最近はペット供養の観音としておおいに人気を集めています。
そもそも馬が草を余念なく食べるように煩悩を食べつくすので噉食金剛という。
私の姉弟子はこの観音が守護神だった。
大変霊感の勝れたまじめな方でした。
でも当初はとても嫌だったと聞きました。
師匠に「馬頭観音って馬の観音様でしょう。そんな畜生の守護神、私はいやです!」といったらしい。
師匠は「馬頭観音が馬頭を頂くから畜生なのか?では聖天さんはアンタに言わせばゾウなのか?」
そういうのを目で見て意味を悟らない。
「牛の眼でものを見るというのだ。」と厳しく言われたといいます。
真面目な方でしたので、それで馬頭様を自らの守護神と考えてからは馬肉も食べなくなった。
勿論、地方都市でもないなら普段はあまり食べないものですが、たまたま口にした肉が馬肉と知らされ、それを知ったとたん猛烈な上げ下しを起こして苦しんだそうです。
それで「馬肉を食べて馬頭様に怒られました。」と師匠に言うと、師匠は「変なこだわりがあるからそうなるのだ。」と一蹴してしまわれた。
そもそもNさんの家は先祖は馬のお医者さんでしたから、庭先には馬頭観音と彫られた石碑がありました。この馬頭様が守護をなされたようです。
姉弟子は霊媒でしたが、そういう人の常で良くない霊体によく苦しめられた。
そんな時は師匠がいろいろ試して真言を使った。
中でも本人の仏縁なのか、馬頭観音の第二真言はよく効験があったといいます。
その話を聞いて「私も知りたいのでそのご真言教えてください。」とたのんだところ。
「真言はただ唱えさえすれば効験が出るわけではない。それにふさわしい徳というものが必要なのだ。アンタのような修行の浅いものが唱えても無理だよ。」といわれた。
「そういうものなのか・・・唱えればいいわけではないのだな。」と真言への見識を新たにした。
そうやって厳しくいわれたり、叱られる中にも得難い教えが満ちていた。
馬頭観音は観音としては珍しい憤怒の観音で馬頭明王とも大力持明王ともいう。
でもこの大忿怒こそ諸観音の中で最も慈悲を表した姿なのだといいます。