ほんとうに開運する人は神仏の流れのようなものに乗る。
神仏自体が人格的存在として対峙してはいても、実はそれ自体は大きな光の流れのようなものだと思います。
仏像や神像は私たちが馴染みやすいためのツールでしかない。
そこにサッサと舟漕ぎ出せる人はやはり好奇心旺盛な人です。
自分のやり方や観念にプラスアルファしてやっていこうとする人はどうしてもそこに漕ぎ出せない。
それは駄目。お金儲けでも、恋愛でも、何かの企画立ち上げるのでも必ず失敗のパターンです。
そういう人はやってきて「なかなか良くならない…」というけど芋虫やさサナギのままでは遠くには行かれない。同じ葉っぱの上を行き来するのみです。
それなくしたら自分がなくなるように思うのかもしれないけど、自分なんて本当はどんなことしてもなくならないんです。
ただそこにかたくなな恐れがある人は変われない。
何時までもサナギのままで枝に張り付いている。それが正しい在り方と信じている。
蝶になってしまうことへの非常な恐れがある。
あるいは芋虫のままで葉っぱの上にいるのが安全だと思い込んでいる。
一番大事なのは変貌を恐れないこと。
そうすれば光の流れに乗れます。
開運は周囲が変化して良くなるんじゃない。自分が変化して別次元へ行くんです。
「引き寄せ」開運法でしやすい人はそこがわかっていない。
ほんとうはね。引き寄せるんじゃない。行くんだ。