あるお寺様の相談。
お寺の役員の件で悩みがある。
それでどうもその人とはメンドウなからみが多く、お寺の安寧にかかわりそうでできれば縁切りしたいという話。
祈願のお話が出ましたが、霊狐さんが映像を見せてくれました。
ギョロメ目の憤怒尊が見える。どうもこの方を拝みなさいということのようだ。
「憤怒尊。つまり不動明王か毘沙門天みたい方を祀っていないですか」と訊いてみたら・・・本尊さん。地蔵さん それから・・・ええと。
お不動様は画像があるらしいが、どうもそれではない。木像のようです。
ちょっと考えておられたがお寺に電話した写メを送ってもらい
「それはもとはうちのではないけど・・・これこれこういう仏を預かっているんですが…」ということで写真を見せて頂いた。
よそのお堂にあった本尊なのだけどお堂が朽ちてしまって、本尊を移動したもの。もうずうっとお寺にあるらしい。
「ああ、これこれ、おそらくこの方だなあ…」と思う。
聞けば町役場に頼んで、手つかずのつぶれたお堂からこの仏様を助け出し、二度も修復したのもこのご住職だそうです。
そういうことをした善果は必ず帰ってきます。恩返しされたいのでしょう。
この仏さまが。
「この方をね。拝んでください。密供でなくお経でもいいですよ。毎日よく拝んだら働いてなんとかしてくれそうです。」
この場合この方が怒っているとかではない。ただせっかくいるのに拝まないから働きたくても働きようがない。
拝めば、なにも外から援軍(拙寺の祈祷)などをわざわざ呼んでくる必要はない。
「ただ、ひとつ大事なことを言います。拝むのは縁切りとか祈らないでください。お寺の安寧を祈ればいいんですよ。目的はそれなんだから、目的そのものでなく自分の考えた手段を仏さまに祈ってもダメですから」と申し上げた。
実はこれは祈願する上でとっても大事なところです。
手段でなくて、あくまで目的を祈る。
こちらのお寺様からはなんと、ニャンコたちへのプレゼントまでも頂きました!感謝だにゃあ。