金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

祈願は口に出したら始まる

「これこれこうで困っているんです…」という話はよく聞くが、「ご本尊に祈願していただきたい」という一言が先方から出ない以上「ああ、そう。それは大変ですねえ。お大事に。」としかいえない。

繰り返し言われても。

こちらも「それは大変だ。とんだ災難ですね。まあ、お大切になさいませ。」の繰り返しでおしまい。

 

忖度などは一切しない。

 

話を聞いて気の毒だから密かに拝んでおくことなども一切しない。

そういう甘ったれた考えは信仰にはありえない。

なぜなら本人が本尊に頼みたいという言葉がないのなら祈願は何も始まらないからだ。

勝手に祈るなら愚かな私の独断行為になってしまう。本尊はついてこない。

眷属すら向き合わない。

逆に「拝んで下さい」と言葉に出した時点から祈願は始まるのだ。

仏の働きは必ずしも私が壇に登ってから始まるのではない。

 

同じように講員もうやめますと言ったらその場で縁は切れる。

切れたものはいくら引き留めても無駄だから一切引き止めない。

もう終わったのだ。

また頼むのを引き受けるのも同じ理由でしない。

そこはもう終わっていますから。