金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

寺と仏間

天台寺門宗は祈願専門の宗派だったためかあまり大きなお寺は少ない。

でもどんなに荘厳が立派であっても個人の仏間は個人の仏間。

寺はどんなに粗末でも活動しているなら寺だ。

個人の仏間は遠く及ぶことはない。

経机一つに三つ具足でも寺の方がはるかに上なのだ。

それなぜか。

 

衆生救済の場だからだ。

限定された個人の祈りでなく多くの祈りの場だからだ。

 

片方は御殿のように荘厳してもいくら拝んでみても所詮が個人の祈願の場だ。

次元が違う。

本尊の働くレベルもまるで違ってくる。

大乗の誓願に合うからだ。

眷属も個人にそこまで加担してもなにほどのことがあるだろうと考えるのが普通だ。

個人で必死に祈った仏像など引き取ると、ガチガチに施主の妄念のカタマリみたいになっていることすらある。

寺の本尊なら和尚と言えども一人の信徒と同じだ。そんな風にはならない。