睡眠薬やたばこなど体に良くないものを准胝独部法をやって離れらえたという報告はままあります。
准胝はチュンディで清浄を意味すると言われているのでそういう悪癖の繋縛から離れられるのは准胝仏母の功徳ですね。
拙寺は本尊として十一面様がいらっしゃいますが、「十一面様まではどうですか?」
もちろん十一面様の祈願でお酒をやめられたという実例を何件か知っています。
そのほかにも祈願して離れられたものは色々あります。
しかしこれは行者の祈願という結果で在家の方は十一面様の略作法のようなものを修することはできません。
知る限り、そういうものは准胝独部法以外にはないですね。
逆に准胝独部法は基本自分のための行で化他行(人の御祈願)ではないのです。
離れられるのと我慢は違います。
我慢と言うのは意識すればするほど期間でも決まっていないとまず無理です。
何故なら我慢を意識するたびに禁じているそのものを思い出すからイメージはどんどん濃くなるのです。
なぜなら期間が明けるのを待つのが我慢だからです。離れられていない。
私も信者さんは密教の本格的な准胝法をすることは例外的にしかありません。
そのような場合でもお札は本尊のお名前で出しています。
あまり色々なお札を出すと何を拝んだらいいいのか?混乱が出るからです。
私の師匠も密教の達者ですので、不動明王、薬師如来、如意輪観音、そのほかいろいろ拝みましたが、信者にはあくまで聖天様を拝んでおけばそれでよいとアドバイスしていました。
曼荼羅世界は誰が中心でも皆つながっているからです。かえって色々別々に拝むことで差別想に堕するのはこの理解を阻む上では感心しません。
ただし私も准胝様の真言自体は高齢者の方の健康のためにはよく用います。
長寿延命を第一の御利益とするからです。
また安産や子宝の祈祷にも唱えております。
准胝尊の眷属には訶梨帝母がいます。
ともに唱えれば訶梨帝母はお喜びになりパワー倍増です。