ある講員様がSNSで知り合った方がにわかに重い病となったそうです。
「知らない人だが拝んでほしい」と言われたけど全然どんな人だかわからないし、講員さまの兄弟家族でもない。数回話しただけだという。
お断りした。
その代わり、「それでも心配ならあなたが准胝独部法で拝んでみなさいな」と言っておいた。
そうしたら1000遍以上も必死に真言唱えて、ヤレヤレご自分の祈りが届いて峠を越したようだと当初喜んでいたけど・・・なんのことはない。ちゃんと他所で祈願してもらったらしい。
それで効験があったとご兄弟が喜んでいたそうです。
講員様もそれを聞いて良かったのは良かったのですが、いささか拍子抜けしたらしい。
言ってみれば失礼だが空騒ぎに近いこととなった。
こういうこともある。
なので私は直に本人や関係者に頼まれない「だれだれのため祈ってやって」という第三者のご祈願は一切しないのです。
冷たいようだがそれが筋だと思っています。
可哀そうだと思わないのか?という疑問もあるでしょうが。頼まれていない可哀そうな第三者は聞くほどに世界中に山ほどおりますので、それを個別に祈れというのは土台無理なことです。
なので個別にはしないけど
「願わくはこの功徳を以てあまねく一切に及ぼし我等と衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを」
というご回向しておくわけです。
まあ、でも講員様が拝んだ准胝様の功徳もいくばくかは知れませんがきっとあったに違いないと思うのですが・・・