金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

祈願のベクトル

今日は飯縄山奥の院で聖天浴油、十八道不動供、理趣分、護摩とフルコースでした。

お弟子にも担当してもらった。

そうしたらある人のご祈願を拝んでいてなんか「えらく悲しくなった」という。

これは施主の想いか、本尊の想いか。そういう質問を受けた。

これはベクトルによる。

つまり信者の祈願を拝む場合。祈願のベクトルに

信者→行者→本尊というルートと、

本尊→行者→信者というにルートがある。

信者の祈願を何とかかなえようと本尊に伝える。

これは基本だが、その次に本尊から還ってきたものを信者に送るということができないといけない。

初心者ほどとかく一方通行になりやすい。

何とかかなえてもらわないとお施主がどう思うかわからないなどと危惧する心のほうが大だからだ。

随って初行であるならその思いは多分に本尊より信者に感応したものだし、行が深まるほどに本尊の感応になっていく。

頼む側の身になれば前者の方が頼もしく思うかもしれないが、結果的に祈願に対する本尊のご意志はいくら拝んでも変わらない。

どんどん拝んだ方がいいのは届いていない場合のみだ。

行者はメッセンジャーであり信徒の代理人である。

だがそれ以上に本尊の代理人でなくてはならない。