祈願しているお寺様から「本尊には本尊の真言。余尊には余尊の真言をあげるべきでしょうか」という質問。
この質問はどういうことかというと不動明王が本尊でご祈祷しているときも薬師如来のご真言はあくまで薬師如来のご尊像に向かってあげるのが正しいか?という質問です。
本尊の真言以外にも色々な真言は良く上げるのが密教祈祷です。
そして密教の道場には普通、本尊以外の御仏もあるものです。
これは私見ですがご祈祷の念誦に限りすべてのご真言が本尊に対してでいいと思います。
なぜなら曼荼羅世界ではみなつながっているからです。
要するに密教は一神教ではないけどかといって多神教でもないのです。
そもそもそうでないなら本尊を決める意味はないからです。
なんの御仏の真言もお不動様を通じてというのが不動尊のご祈祷です。
私の師匠は浴油の最中あらゆる真言を聖天様に向かって唱えて祈願していたようです。
それじゃさっきのたとえでいうなら薬師様のお像はいつ拝むの?
わたしは祈祷の最後に法楽として諸尊真言をお唱えするときには各尊に向かってそれぞれのご真言をお唱えしています。