金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

祈願は拝めば拝むほどいいは間違いです。

祈祷というものは拝めば拝むほどいいかというとそういう訳でもないのです。
聖天供は浴油を連続週間以上はしてはいけないとも言います。
後は華水供をするという。
やりすぎては駄目。
例えば祈祷で真言念誦二〇〇遍で足らない三〇〇遍なら届くと感じることがあるけど、これは三〇〇唱えないと本尊が喜ばない。三〇〇唱えたら「よしよし、私の真言をいっぱい唱えて感心な奴だ」と受けてくれるというようなご褒美的構造ではないのです。
これは大間違い!
要するにここで例に挙げている三〇〇遍というのは自分の阿頼耶識に入るなあ…と感じる数なんです。「届いた!」という数。
三〇〇遍でいいなら五〇〇遍ならもっといいかというとそういうもんでもない。それ以上はいくら唱えてもおんなじ。
もっともっと拝んで下さい!というけどたとえば健康食品て大量に食べれば食べるほど健康になるわけじゃないでしょ。それといっしょ。
こんなこと言うと祈祷って結局本尊とかがいてどうのこうのじゃなくて阿頼耶識とか潜在意識の話なんだろうと短絡的に思うのはこれも大間違い。
この阿頼耶識というのが行者と本尊との共通領域なのでここで祈願の受け渡しがおきるんですね。
真言の遍数というのは祈願の受け渡しの配送料みたいなものです。
要は届けばいいんですね。真言一遍でも。
届かなきゃ100万遍でも駄目。現実にそういうことありますね。
いくらおがんで駄目という祈願。
祈願というのは要するにこの配送業務なんです。
平たく言えば「祈願の運び屋」にすぎません。
だからダイレクトに超能力でエイヤッと叶えるとかじゃない。それができるのは本尊様の力のみです。
私なんかにそんなんできまっかいな?
祈願なら10万遍拝んで駄目なら100万遍拝んでも1000万遍拝んでもおそらく結果は一緒。修行は別だけどね。
上手く配送できていないか、もしかして内容的に返品扱いかも。ものによってはそういうことあります。「これは運べないですよ。」というものもね。
 私の場合返品になりそうな祈願は発送前にお断りしています。