拙寺に来られた行者さんが「色々とこちらは多くの仏様が祀られているので拝むのに混乱しないですか?」と聞かれましたが、それはありません。
そう言う時に役に立つのが曼荼羅の考え。
それが曼荼羅の考えですね。
つまり、仏像の多数置いてある本堂は本尊を中尊とした「別尊曼荼羅」と考えます。
あるとするなら、ただ何尊を主尊にしたらふさわしいかの別があるだけ。
ここが顕教にはない優れた考えです。
欲しいパワーは眷属の仏様から引いてきて取り込むのです。
具体的に尊像で配置しますから本堂即羯磨曼荼羅なのです。
ですからあっちも拝む、こっちも拝むので混乱するとか、病気拝むのに薬師仏と聖天とどっちがより良いか悩むなどという観念はありません。
全部で一つの曼荼羅ですから。
正しくは「優劣なし」です。
くれぐれもそこをお忘れなく!