金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

本堂は曼荼羅です。

拙寺に来られた行者さんが「色々とこちらは多くの仏様が祀られているので拝むのに混乱しないですか?」と聞かれましたが、それはありません。

たとえば聖天様の祈願ですが、ほかの神仏の御真言をも祈ることがあります。
例えば受験なら虚空蔵菩薩とか天満宮、病気なら金剛夜叉、薬師如来、赤ちゃんが授かりたいときなら准胝仏母、訶梨帝母尊など。
そう言う時に役に立つのが曼荼羅の考え。
私はつまりこれらの仏像に向かってそれぞれの真言を唱えるのでなく、聖天様に余尊の御真言が集まり、聖天様を通じて施主に真言を送る。
それが曼荼羅の考えですね。
聖天様を拝む時は聖天曼荼羅で余尊は如来だろうが明王だろうが眷属なのです。
つまり、仏像の多数置いてある本堂は本尊を中尊とした「別尊曼荼羅」と考えます。
密教の世界、とりわけ拝む世界では本尊に如来だの天部だの優劣はないのです。それを言うのは顕教の世界。
あるとするなら、ただ何尊を主尊にしたらふさわしいかの別があるだけ。
ここが顕教にはない優れた考えです。
欲しいパワーは眷属の仏様から引いてきて取り込むのです。
具体的に尊像で配置しますから本堂即羯磨曼荼羅なのです。
ですからあっちも拝む、こっちも拝むので混乱するとか、病気拝むのに薬師仏と聖天とどっちがより良いか悩むなどという観念はありません。
全部で一つの曼荼羅ですから。
ある仏教系教団の人、私が聖天信仰と聞いて「お聞きしますけどね。如来と天部や観音とどっちが上だと思います?」ときた。ここで「如来です。」を選択すれば密教じゃない。思う壺です。
正しくは「優劣なし」です。
だって天部だって大日如来の等流法身ですよ。
くれぐれもそこをお忘れなく!