足立区で保護されたシカ君が殺されないで動物園に行くことになりました。
本当に良かった!
メールを足立区に送ってFBで皆様にも賛同を求めたけど、ほかにもいくつもそういう動きはあったみたいです。
シカが助かったことは言うまでもないが、シカを見捨てず助けたいという優しい人の心が嬉しい!
むかしお諏訪様は「千鹿頭神」と言い、荒々しい狩猟民族の神様でした。
お祭りには千匹のシカの頭を切って並べたという血なまぐさい実にすさまじい神様でした。
おそらく縄文人の信仰なのだろうね。アイヌの人もそうですね。
イヨマンテなんか熊を殺して解体する。すさまじいお祀り。アイヌの人は縄文人の末裔だとも言います。でもクマに感謝するんだね。そうやって神様のもとにクマをお返しする祭り。熊はいい迷惑だが。
それで諏訪明神も後になって「鹿食免」というのを出した。
※ カジキメンと読みます。
日本は平安以降仏教が主流で殺生はしない方向でした。
鳥や魚は食べたけど、有情と言って哺乳類のように親子、身内の心のある生き物は食べなかった。
それでもお諏訪様の「鹿食免」があれば一種の免罪符でたべていいことになっていた。
シカを食べてよいという免許です。
諏訪の大事には
業尽有情雖放不生 故宿人天同証仏果
撃つものも撃たれるものももろともにただひと時の夢の戯れ
野辺に住む獣、我に縁なくば 永く闇路に迷いけるなり
生を得て死なざる者のなにかある 今より後は即身成仏
というものがあり、業の尽きた生き物は食べて上げることで仏果を得ると考えたのです。勿論鹿を食べた人は善行に励むという条件がある。
そうするとその人も食べた動物も同じく来世に良き果報を得る。
一見すれば、手前勝手のいい人間の作ったへ理屈には違いないが、ただただ動物だから殺して食べてもそんなのは当たり前では無く、命あるものを殺し食べることに意味を求めた先人の心は汲みたいと思う。
チベットでも同じような信仰がある。
チベットという国は高山では動物性のたんぱく質は欠かせない。
以前ダライラマ法王が菜食の生活を始められたが一年半で体を壊されてやめたと聞いた。
食べるということ以外にも人間は殺生の器だ。
森を焼き、山をくずし、海を埋め立てる。ほかの生き物を傷つける罪なく我々は生きることはできない。
そこは罪を認識して合掌して生きるしかない。
鹿食免はそのささやかな罪への抵抗なのかもしれない。