三帰三竟を受けたらいよいよ五戒の伝授に入ります。
一番最初は不殺生戒 文字通り生あるものを殺さない。
これは我々はただでさえ生き物を殺しているんですね。意識するしない、間接的・直接的を問わなければほぼ毎日。
まあ、人は殺さないでしょうが仏教の殺生戒は人と限らない。
そこはキリスト教とは全く違う。
だから全く殺さないは不可能。
もっとも仏教で仏教では植物は殺生に入りません。
生き物でも有情と言って情動のあるものを殺傷するのはいけない。
昆虫のようなものでもとらえようとすれば歯向かう。逃げる。情動があるからですね。
だから虫もやたら意味なく殺してはいけない。
昆虫標本などを宿題にするなどもってのほかだ。
うちに子どもがいれば宿題の放棄を勧めるだろう。
華厳経の説では上殺と言って一番いけないのは仏陀、菩薩のような人を殺すこと。
このような方は独り生きていれば大勢の人が救われるからでしょう。
二番目が中殺と言って人間一般の殺害
金獣魚昆虫は下殺で三番目になっています。
同じ下殺でもやはりミジンコのようなものを殺すのと犬のような動物を殺すのでは情動のしっかりした牛の方が罪はずっと重いでしょうね。
まあ、しかしながら生き物は他者を殺し食べて生きていますからそれは自然の摂理です。
ただでさえ殺している。
生きることは殺すことだ。殺さないなら死あるのみ。
だからこそ不必要には殺さない。
魚釣りでも食べないなら殺生の思い罪ですね。
スポーツ・ハンティングなどもってのほかです。
しなくていい殺生だ。
職業でする猟や漁業。我々の社会に栄養物をもたらす食肉獣の養殖をされる方はもちろんこれとは話が別です。
前にスポーツハンティングが趣味の社長が来られましたが信者になるならそれはやめることと言ったら、信者になるのをやめた。
そういう方が辞めるのはいささかも残念ではない。
やめるといって隠れてされるのは一番面倒だ。発覚すれば信徒をやめてもらうほかない。
正直に先に言ってくれてよかったとさえ思う。
残念なのは殺生をやめないことのみだ。
業の認識のないものは仏教徒にはなれません。