今日も五戒のお授けをさせていただいた。
その第一は殺生戒で僧俗一貫の戒である。
にもかかわらず先ほど風呂場でお湯にはいり湯があふれて流れ小さなゴキブリが死んだ。
私は48度という高温を好むのでたいがいの昆虫などは死んでしまう。
又昼間は輪ゴムでハエをは弾き飛ばして退治した。
この様に私自身が殺生は行っている。
まあ、害虫と言えば害虫で駆除しても普通は心は痛まないだろう。
でも私は深く悩まないまでもやはりこのハエやゴキブリは何のために生きてきたのか。今日まで・・・と思ってしまう自分がいる。
だがこの矛盾こそが私は大事なのだと思う。
「割り切ってしまうことには恐ろしい罪は伴うから」と私は思う。
すっきりしないのが大事だ。
例えばナチスドイツの時代、ユダヤ人は悪だと教育された少年たち・ヒットラーユーゲントはユダヤ人たちを収容所に送ることに何のためらいもなかっただろう。
より多くのユダヤ人を告発して善行を行おうとすら思ったに違いない。
嬉々として晴れがましい心で告発しただろう。
でも中には「ハイルヒットラー」と言いながらもユダヤ人だって同じ人なのにどうして・・・と思ったドイツの人もいたに違いない。
だから私は生命に対する生き物の矛盾をそのままに大事にしたいと思う。
ある意味、全ての生き物は殺しあっている。何も食べない生き物はいない。
生きることは殺すことの別名だ。
この矛盾を生きていればこそ無益な殺生はしまいということになる。
生き作りや踊り食いなどもってのほかだ。
とっくに死んで鮮度の落ちたものをたべるほうがはるかに嬉しい。
年末に生きたアワビやイセエビやサザエをどっさりもらって皆すべて海に放したこともある。
師走の夜中に寒風吹く中に磯に行き、人に捕られないよう禁漁区域に放したが事情を知らない人が見れば密猟の最中にしか見えない。
だから懐中電灯も持たずに磯伝いによろよろと放生会もどきを行った。
まあ、普通にこの話を聞けば狂気の沙汰だ。
年明けに「おいしかったですか?」と聞かれてありていに本当のことを言ったら、呆れてか二度と何も送ってこなくなった。(笑)
今日も明日も矛盾に満ち満ちた大悲を胸張って生きていこう。
それこそ大乗仏教だとそう思う。
南無大悲観世音!