こんな質問が来ました
「○○です。退院は延期になりましたが早ければ明日退院、遅くても今週中には退院見込みです。
さて退院したら、以前からやりたかった釣りをやってみたいという気持ちがあるのですが、仏法の目からみればほめられたことではないかと思います。
仏道者が釣りをすることをどう思われるか、ご意見をいただければ幸いです。」
「 娯楽としての殺生は食べること自体は自然でもよくない行為です。ご自分の体の苦しさを魚も同じように感じます。それでもしたいならば止めません。」
「ご回答ありがとうございました。釣りはもうやらないようにします。今後ともご指導よろしくお願いいたします。」
こんな回答には不満な方も大勢いるでしょう。
でもあえて「仏道者としてどうか?」と但し書き付きで問われればご本人も言うように褒めたことではないとしか私には言えません。
釣りはスポーツでしょと言う人も。
魚との勝負と言う方もいますね。
でも口に針付けられてひっぱられる側やってご覧。そんなもんどこが勝負だ。
もちろん、食べるために殺すことは生き物なら皆します。これを止めることは死ねというのと変わらないからそこは否定できません。
だから漁業はたくさんの魚介類を獲るけど個人の娯楽の釣りとは同列にはできない。
その意味では我々が生きることは殺すことと同義とまで思います。
言い換えればそれが生きているということです。
だからこそ無駄には殺さない。ただでさえ生きていくだけでも山ほど殺していますからね。
その心が不殺生戒だと思います。
私は釣りをやめろとかするなとまでは言いませんが、問われればこう答える以外の答えはない。
だから話を聞いたうえでしたいなら別に止めないと言っています。