金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

十一面観音随願即得陀羅尼経 講義 その4

「その時 ほとけ 讃じたまう

よきかな 大士  諸々の有情のためにこの呪を宣べんと欲す

我もまた受持せん 汝  速やかにこれを説け

時に観世音菩薩即ち呪に説いて曰く

オンマカキャロニキャソワカ」

 

十一面観音の真言が説かれるくだりです。

注目すべきは釈尊が「我もまた受持せん」といわれるところ

観音だから菩薩であり如来より下の存在とかそういうヒエラルキーの観念は密教では超越されています。

善きものは誰が説くものでも善いのです。

なおこの「オン マカ キャロニキャ ソワカ」は和製真言として知られていますが、儀軌に載っている長文の大呪の一番最後の部分をとったものです。その意味ではまるきり和製ではないです。略呪というべきでしょう。

意味は「大慈悲尊よ 成就為さしめたまえ」ということになります。

 

 

「(観世音) この呪を説き終わって 仏に申してもうさく

若し男女あってこの呪を一遍も誦すれば

十悪五逆の一切の罪障 ことごとく皆消滅す

諸病苦を除き 諸々の怖畏を離れん」

 

真言を僅かに一遍唱えても過去の十悪五逆などの罪障をのぞき消滅せしむとあります。

そんなことあるの? 

私はあると思います。箇

ちなみに十悪とは 殺生 偸盗 邪淫 妄語 悪口 綺語 両舌 慳貪  

瞋恚 邪見の10箇

五逆は 母を殺す 父を殺す 阿羅漢を殺す 仏のお体より血を出させる

仏教の僧団をかく乱するの五つです。

 

例えば過去世で人を殺めたとしましょう。

あやめたこと自体は消せません。その意味ではやったことはもう訂正不可能です。

よく滅罪とか罪障消滅と言いますがそれ自体はもうどうもなりません。

しかしながら現世では過去世の悪業は被害者もすでになく、関係者もいません。

もう誰も責めたり憎んだりする人は周囲にいません。過去世のことですから。

(逆に現世で犯した悪業は何よりも現実の償いが必要ですね)

ただ、私たちの心識にのみは強烈に残ります。

次の世でそれは私たちを罰します。仏や神でなく自分が罰するのです。

そしてそれは意味があるのかといえばないのです。何も良くならない。

 

昔「破地獄真言」というものはおかいしのでは?という質問がありました。

破地獄真言というのは地獄も亡者の苦痛をやめて救い上げるご真言のことです。

その方が言うには「地獄に落ちている人は悪事の報いで落ちてるんだから、それを助けては脱獄と同じではないか?」というのです。

地獄というのを決められた期間、懲役を課すべき監獄と思えばそうでしょうね。

 

ですが、そうではない。地獄へは誰が落とすのでもなく、自分の誤魔化せない人間としての心が地獄にその人を落とすのです。

三途の川や閻魔さんの裁定などは現実にはない、すべて心のなせる業です。

あえて言うならその人としての「良心の呵責の集合無意識」の現れが閻魔大王でしょう。

だが地獄に落ちたそのままでは現実に浮かぶ瀬はない。間断なき苦痛に見舞われ善行も仏道修行もままならない。

それではよくならないと考えるのが仏道です。

仏道の目的である「本来空」の境涯は言い換えれば「万物一如」の境涯であり、万物への慈悲無量の仏心です。

そこにいたればもう地獄に行く人はない。それが大乗の理想です。

僅かに一遍でも唱えれば・・・というのはこれは気づきであるから。

気づきが起きればそれでいいので数量は必要ないでしょう。

 

しかして懺悔してこの呪をと唱えるなら手放せる可能性があるというのです。

それに伴い過去世の業から来る不具合や病も改善していくということでしょう。