密教の仏尊の中にはドクロを帯びるものも多い。
夜叉明王や青面金剛、深沙大将などなど
ドクロは言うまでもなく死の象徴だ。
多くの宗教で死は憎まれるが、仏教では必ずしもそうではない。
仏教においては死は生と別なものではない。生命の生まれ変わりの一環としてのシステムともいえよう。
だから死に親しむことも必要なのだ。
しばしばお寺に閻魔堂があったり、地獄の描写もある。
そうしておくことにより未体験の体験と言われる死はいつかどこかで見たものとなる。
閻魔堂を拝んだり、ドクロを頂く尊格を拝むのは小さな死の体験だ。