不動一洛叉 「一洛叉」と言うのは10万遍唱えることを言います。
准胝独部法も10万遍唱える。
どう違うのか聞かれました。
どちらも心識を洗ってくれます。
阿頼耶識の中まで洗う。
「准胝独部法」は在家の方の修行できる法ですから、どこかに閉じこもって何日でしないといけないとかは基本ないんです。
「不動一洛叉」はうちでは飯縄山奥の院にこもって7日でやる。
これは天台寺門宗では密教の前行です。
あえていうなら不動一洛叉は荒行と言うほどのものではないが急激なカルマの浄化をしますので、精神面だけでなく環境にも劇的な変化がおきてくる可能性があります。
なにせ朝から晩まで真言づくめで異界のような七日間です。
色々なことが起きる。
行中にわけもなく涙が茫々と流れたりすることはよくあるし、中にはてんかん発作が起きて救急車まで呼んだ人もいた。こころの奥から見たくない物、対面を避けてきた感情や記憶がまざまざとよみがえる。
これ理趣分もそうですが、理趣分は長丁場だからまだ安全。
涙が出るくらいならどうということもないからいいけどこういうこともあるので、行の監督なしに初心の行者一人だけですればいいという訳にはいかない。
さらに例えば一洛叉何とか終えた後であっても問題行動でそれ以上先に行かれなくなるとか、そういう行者もあった。
良いことばかりあるわけではないのです。
密教の前行なのでここで足切りにもなる。
密教に縁がない方は去ることとなる場合も。
「准胝独部法」は簡単ではあるけどそれ自体が前行では無く一個の「密教行法」です。
前行なくとも徐々に三業の浄化を行なう勝れた方です。
在家に伝授してよいので機根はそう選ばない。
だから密教の本格的な修行は慎重にならざるをえない。なかなか人を選ぶけど、独部法の伝授はよくするわけなのです。
当院は独部法の行者さんは在家出家問わずに多いです。
でも不動一洛叉やりたいと言われるとやはり構えてしまいますね。
だれでもやらせるとはいえない。
される方はもちろん、させる方も結構大変ですし。