聖天様のご縁というのは宿世からの結果。
師匠はよくそういわれた。
興教大師 覚鑁さまもまた歓喜天をして「機縁の至り、感涙抑えがたし」といっている。
だから中にはいくらお願いしてもどういう訳か何にも起きない人、何一つかなわない人もいる。
かと思えば聖天様が待ってましたとばかり働いてくれる人もある。
この違いは何?
何も叶わない人が悪人で、叶う人が善人なのかと言えばそうとも限らぬ。
あんな無茶で行儀の悪い人と言うような人でも実によく助けてもらう方もあれば
あんなに上品で親切で…と言う人でも叶わないことは全くかなわない。
いずれも縁が熟しているか否かと言うことだ。
だが縁が熟している御利益をもらいやすい人であっても、不遜で増上慢の人となればたちまち見離されることもある。
いまだ縁が結ばれていない方でも聖天信仰の功徳自体はなくなるわけではない。
少しづつだが積み重ねだ。
祈願が一向叶わない。
その場合は潔く欲願はまずおき、ここは修行場と心得よう。
方々の聖天様を巡って願掛けしても叶わないものは叶わない。