聖天信仰だと強烈な欲願をかける人が多い。
それで、そこそこかなったりもする。
出も叶えば叶う欲のほどを知らぬのが愚かな人間の性だ。
叶いすぎてついには脱線する。そうなれば叶わぬものは幸いだ。
師匠から聞いた私の知る聖天信者の話に三年間、毎年十倍の税金を納めるほどもうかってきたが、しまいに自分位えらいものはない。
「霊能者が自分には最高の仏である大日如来がついている。天部レベルの聖天なんかじゃないと言った。」それでまいあがって聖天様なんかもういらないと言って祈祷もやめて、無茶して投獄され、死んだ人もいた。
智慧のない者が際限なきことまで願えばそうなる。
昔から言う聖天様の怖さだ。
十一面様はその行き過ぎを抑える役だ。
聖天様は気前がいい神様だ。ときには驚くような霊験も与える。
聖天尊の女天はこの観音でやたら気前のいい男天である金色毘那夜伽王の暴走しないように抑えるために抱き留めているのだ。
男女交合の像ではない。
その意味ではチベットの父母仏とは全く意味を異にする。( 父母仏は別に深秘な教理があるのでその優劣とか言うわけではない )
だから本当は際限なくなんでも叶えるには十一面様がいない方がそうなりやすいかもしれません。
でもそれではしまいに地獄行きの信仰になってしまう。
そうならないように十一面様はお目付け役なのだ。
時々聖天信仰繋がりで来て勘違いして「なんでも叶う」ということで、身勝手の強いことばかり願う人もいたけど・・・十一面観音がいる限りかなり厳しい。
十一面様が働けばいままで悪いことで稼いだ金、おかしな儲けはすべて失う羽目になる。
儲かるどころか、零落する。
傲慢な人間の鼻を根元からへし折る。
容赦なく自慢の翼を剥ぎとって地に落とす。
そういう例をいつくも見てきた。
それが十一面様の怖さだ。
聖天尊に比べれば十一面観音のうたう十種勝利は現世利益だが、人様とくらべてすごくお金が儲かるとか、出世して世の中をぎゅうじるとかいう派手なものは一切ない。
すべて日々無事安泰に 息災でいるための御利益。
それしかない。
それに加えてあるのは間違ったことを許さない冷厳さだ。
観音様をごまかせると思うのは大きな間違いだ。
そこは知っておいた方がいい。