性転換した女性をスポーツ競技でどう考えるべきかという問題が出ている。
私は人類は滅ぶ方向へ行く大変危ない時期に来ていると思う。
地球温暖化や人口爆発、同時に老齢化なども深刻であるが・・・
一番怖いのは人間が「性別」を悪者扱いしだしたからだ。
ジェンダーの問題がエスカレートして「父母という言葉も差別だ」などと言い出した。
父のイメージ 母のイメージは悪なのだ。
これはどうかと思う。人間の原風景の否定だからだ。
トランスジェンダーの女性はいくら科学的に作り出しても天地の産んだ女性ではない。
社会的に女性であるとは言えても生物学的な原則からは本来的女性ではない。
誰がどう言おうと事実だ。
したがって子供を産む機能はない。
子供を産めない女性はいるが卵巣も子宮もない女性はいない。
同時に子供を作れなくても精巣自体のない男性もいない。
言っておくが私は別にトランスジェンダーを否定しようという気はさらさらない。
社会的には誰にも疎外されず自分の好む性別を選べてそれに即して生きる。周囲もそう認める。
それは大変に素敵なことだと思う。
民俗学的に言えば昔からどこの国にもそういう人の生き方は少数ながら存在していた。
人は押しなべてこうじゃなきゃ駄目というくだらない真理のしつけのない昔はそうだった。そういう個人のありようの自由はアバウトな古代社会の多くでは法律的に保証されなくても当たり前だとされてきた。
今も存在するインドの女装集団ヒジュラや日本の地者(男巫女)などはそれだ。
人は誰でも社会のなかでは祝福されるべきだからだ。
今までどんなに嫌な辛い思いをされてきたかは想像に難くない。
外にも同性婚についても私は反対じゃない。
おおいに賛成だ。
だがそれらはすべて社会でのありかただ。
社会の造った無用の鎖を断ち切るのは賛成だ。
でも、だからと言って従来の生物学的性のありかたまでをも悪だとし、否定する必要はないし、
それは絶対してはならないと思う。
性の否定。 それは人類滅亡の序曲に聞こえる。
なぜなら、どんなに理屈を言っても子供が生まれなければ種は滅ぶのだ。
哺乳類には男女両性が必要だ。
それはプラナリアの様な生き物ではない。
人類の理想は自然を超越してはならない。
何故なら人間の知恵や考えは到底自然の知恵に及ばないからだ。
人間が踏み込んではならない領域がある。
人は創造主ではないし、そうあってはならないだろう。
クローンもそうだし、例えば死ぬのが嫌だからと死ななくなったらどうする?
一部のお金持ちだけが何億ドルというお薬で200年も300年も生きたりしたらどう思う?
実際近い将来にそういう可能性は医学的に出来ても不思議はないそうだ
不平等だから差別だと言って誰もがしまいにはもっと安価に不死が手に入るようになるかも。
そうなれば地上は死なない人であふれてしまう。
身体障害者の補助機能などは大いに開発して欲しいが不死の治療はまずいと思う。
人のしてはならない領域なのだ。
人はどこまでも人なのだ。
今では延命治療を望む人は少ない傾向にある。
なにがなんでも一分一秒でも生きることが良いことでないと気付いたからだろう。
これだけは自由にしてはならない。
そういう領域への気付きは大事なのではないだろうか?