金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

宿世の縁ということ

「羽田先生
 
 
いつもお世話になっております
 
昨日『准提菩薩念誦霊験記』を読んでまして、今まで気のせいにしていたことが、准提さんの行の霊験だったのではないかと気が付きました
 
(1)「夢で仏菩薩声聞縁覚を見る」→周りが金や宝石をちりばめたキラキラしい場所で、薄い白い衣を着た智拳印の人を見て「何かいい夢見たな」で終わってました
 
(2)念誦の最中に准提さんの下の青い龍の鱗??と蓮の茎を見た→部屋に掛けてある准提さんのタペストリーのイメージが居眠りして出てきただけじゃないかと見比べるが違ってました
 
(3)「白き甘露を飲む」→口や喉がしばらくの間甘くなって、ついに糖尿病になったかと疑い、糖分とご飯を控えてました
 
 
『霊験記』に書いてあることで、行をする前に過去にあったことがあり
・「虚空を飛行する」夢→龍に乗って空を何度か飛ぶ夢は見てました
・「水も溺らすことあたわず」自宅を買って引っ越して霊障が酷いときにあまりの辛さに、海でおぼれて死のうかと思っていたら「絶対に溺れないように泳げるようにした」と誰かに言われました(ジムのプールで練習して遠泳用の泳ぎで3kmくらい泳げるようになってました)
 
過去世で准提さんの行をしていたとか、行の功徳が過去に遡ることはあるのでしょうか? 」
 
仏様には宿世の縁から今生でまた出会うこともあると思います。
不動さまの慈救の授なども一度唱えれば生々而籠と言いますから准胝様にもあるでしょう。
行の続きを是非したいと前世で思ったのかもしれません。