「世の中には、
いかに多くのすぐれた人がいることか・・・それが分かりかけて、
その人の学問もようやく現実に根ざし初めたと云えよう。」
明治の教育者 森信三先生の言葉
この人はまず腰をしゃんと立て、靴をそろえるこの二つを修養の始まりとした方です。
私のようなものにもそのくらいならできそうなので務めてやっているが、姿勢も崩れやすく生来至ってだらしないので靴はよく脱ぎはなして気がついては直している(笑)
上の森先生の言葉には重みがある。
人の偉さがわかる時に自分の中にも修養が確立してあるのだろう。
しかるに人を小ばかにし、短をひたすらあげつらい、何かというとケチばかり付ける人には修養もないし、その難しさもわかろうはずはない。
そういう人間があふれており、さらにそういううまいケチの付け方をする人の言論を拍手喝采でもてはやし、スターのように崇めるのが現代世相だ。
まったく真逆だ。
森信三先生の言うことは仏典にも大いに通じる。
他の過ちを見るなかれ 他の作さざるを責むるなかれ
おのが何をいかになせしかを自らに問うべし(法句経)
修養の根幹はここにあろう。