金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

求めてこそ


江戸時代の易聖と言われた新井白蛾先生の本に立派な学者とどうもならないグウタラがいっしょにいたらグウタラはその先生の徳で感化されるだろうか?という設問があります。

因みに新井先生は仏教の信奉者ではなく儒者です。

答えはNOです。
グウタラには向学や修養の心がないのでわからないのです。その先生が本当に偉くても。

楽器なんかでもドシロウトは聞いてその優劣があまりはっきりしないが、その道の人にはよくわかる。そんなものです。

転じて「童蒙よりはじめるべし」という易経の山水蒙の卦をいう言葉が出てくる。求めてこない人には教えても無駄ということです。
仏様の教えだと言ってもそこはおんなじです。
だから嫌がる人をいいことだからと霊場参りや寺の法話に連れてきたっておおむね無駄なんですね。

信徒さんが今度身内をひっぱってくるというと私は言うんです
「興味がないなら来ても無駄ですから」と。