人として善でありたい気持ちは人間の基本だ。
真 善 美
宗教の役割は価値観の全て委ねることではない。
自分が人としていかに生きるかの指標が宗教だ。
この自分がが大事だ。
自分の代わりに生きる存在はない。
若し、そんなものがいるのなら・・・あなたの存在意義はどうなるのか?
神にせよ仏にせよ、おおいなるものの働きによって我がある。
それを尊いことと思うのが宗教。
だが主役は神でも仏でもない。
あくまであなただ。
如何に教えであっても存在のすべてをゆだね、あなたの思考も停止するのならそれは悪しき教えだ。
ただただ言うとおりにさえしていればすべて幸せになれる宗教などない。
キリストや釈迦でさえ苦難の人生を送ったのは我々と何も変わらない。
そして善は決してそう複雑なものではない。
「一見、社会悪に見える行いだが、教義によれば理由のある善」など100パーセント眉唾物だ。
ただの悪だ。
目が醒めればよくわかる。