世の中には様々な宗教があり、それぞれに祈願もある。
だが密教はこれが一番というものを一つ上げるなら防御である。
これはほかの宗教では及ばない。
例えば攻撃呪術に優れていても自分のことは防げないという宗教は結構ある。
故に祈りあいになるとすごい呪力があってもあっけなく死んだりする。
ミサイルの打ち合いのようになる。
故に各々大変に苦労をする。
ある陰陽道系の呪術除けを見せていただいたがなるほど人を呪うだけあって防衛は気を使っている。
だが大方はここまでの術は備えていない。
その点、密教は護身法に始まり護身法に終わる。
全ての作法がそうなっている。
基本的なものではあるがこれが最も強烈な呪術なのだと思う。
護身法について詳しく話すことは許されない。
ただそれは密教のアルファにしてオメガであるといえる。
ものの本にも出ているのにともったいぶるほどのものかと思うだろうが、実際に秘密にするべきは印や真言ではなく意密である。
意密を知らずしてこれを行ってもただの手遊び、言葉遊びの類だ。
密教にはならない。
ならなぜ印や真言を秘密にするのかといえば、これらを日常誰の目にもさらして手遊び言葉遊びのように思いなしていれば肝心な時には使い物にならなくなるからだ。
このことはほかの伝授においても言える。
伝授されないのに使用して弄んでいたものは、いざ正しく伝授される状況においても効験はない。
だから越三昧耶を懼れるのはまさに自らのためだ。
いきなり不動明王の根本印教えて欲しいという人もいた。
断りはしなかった。
手順を踏んで授けてもいい段階に至れば話は別だということもあるからだ。
「授けてもいいがその前にしていただきたいことが・・・」と前行の話を延々したらそそくさと帰って行った。
この手順あっての伝授だ。いきなりそれだけを教えてどうなるものでもない。