天台では珍しいけど聖天様の礼拝次第などはそうなっております。
先日、三昧耶戒真言の伝授と三昧耶戒伝授のちがいはどこにあるのだろうかという質問がありこれを考えてみました。
密教行者でないならありえません。
逆に三昧耶戒を受けた人は伝授資格ができるということです。
ただここのところは三昧耶戒は単独での受戒ではなく、必ず潅頂作法の前にするのが通例の作法です。
昔は別にしていた経緯もあります。
園城寺の頼豪さんが朝廷にお願いしていたのが三昧耶戒道場の建立でした。
山門の邪魔で叶わないのを恨んで、護摩焚いて憤死し、ネズミのお化けになった話は有名です。
ちなみに阿闍梨はアチャーリヤで教授者のことです。
そもそも三昧耶とは元来が仏と我が等しいという考えであります。
三昧耶にはその開発に随って五段階あるといいます。
「第一三昧耶」は曼荼羅を拝見する段階、仏と等しいが形の上では仏縁に触れる最初の段階です。
ここが一番最初の段階です。
第三三昧耶は加行位でここから実際の行法に臨みます。四度加行などに臨むくらいです。密教修行らしい三密を具備した修行です。
第四三昧耶は入壇の位でこれが終われば阿闍梨の位です。
入壇して密印を受けます。
第五三昧耶は瑜祇潅頂などの秘密灌頂の位です。このレヴェルは理事ともに語ることは許されません。
つまり、三昧耶戒真言の伝授は「第三三昧耶」の得度や受戒に当たり、戒体を備えた形としての三昧耶戒は「第四三昧耶」に当たるのだと思うのです。