人は一生のうち何度か大きな災難にあう。そういうものだ。
江戸時代の禅僧。良寛さんの言葉。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候」
以下は良寛記念館の紹介から
良寛は、江戸時代の後期(1758)に越後出雲崎の名主橘屋山本家の長男として生まれ、幼い頃から学問に親しみました。22歳から岡山県の円通寺に赴いて仏道修行に励み、35歳頃で越後に帰りました。
そして空庵を転々とした後、五合庵に定住し、その後乙子庵に住んだ後、和島の木村家草庵に移り、74歳で示寂しました。
このように、良寛は円通寺を離れてからは、生涯にわたって寺を持たず、貧しいながらも清らかな生き方を通しました。
そうした中で、多くの詩や歌を詠み、それを書き遺した作品は、日本美の極致とまで絶賛されて、今に伝わっています。
又、子供達と遊んだ等の逸話から慈愛に満ちたお人柄は現代の人達にも広く親しまれています。
災難自体は避けられないとまず覚悟したらいたずらにジタバタしない。
災難を嫌がらない。もうどう嫌がってもおきてしまったことには無駄だ。
そしてそのなかで一体自分は何ができるか。
できないこととできることを明らかにする。
それを明らめるという。
もしも何もできないなら…思い悩むのをやめる。
そう思うことも簡単にはできないが本当にダメならそれ以外ない。
この良寛さんの教えにないもの。祈りだ。
後はできることは祈りだけだ。深い信仰があれば安心もともにあるはずだ。