金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

倶利伽羅龍王はインド版の権現信仰か

大部むかし、ある夫婦の信者さんの奥さんが日蓮宗の「七面大明神」を信仰していた。

ところがご主人は「そんなのは所詮、動物霊だろう」と嫌がっていた。

確かに七面明神の出現緒由来には身延における日蓮上人の説法の座で赤い蛇体を現し「私は七面山の龍である」と明かした物語がある。

だから動物と言えば動物だが、こういうのは天台の「十界互具」の考えでないと説明できない。

地獄から如来の十の世界にはまた十の境が包摂される。

動物の中にも仏 菩薩の位があるのだ。

逆に人間も三悪道がある。

人間だから必ずしも動物や鬼神より境涯が高いとは言えない。

 

たしかに七面天女などは由来から言えば実類の神霊と言えよう。

 

実類というのは力ある神霊のことだ。仏菩薩の化身である権類ではないので実類という。権類とは権現の意味だ。

日本仏教は日本的霊性と結びつき、人や動物ばかりか岩や樹木も仏、菩薩の化身として礼拝する。

それでよく聞かれるのは倶利伽羅竜王は不動明王の化身なのか?実類の龍ではないのかということだ。

 

倶梨伽羅つまりクリカという龍はインドでもともと八大竜王としてしられる。

ただし法華の八大龍王ではない。名前は同じでは別メンバーだ。

インドではこちらの方がメインだ。法華の八大龍王など誰も知らない。

八大龍王のメンバーとしては実類かもしれない。

儀軌では馬頭観音や摩利支天の眷属とされる。

 

だがそれがダイレクトに不動の権現とされた場合は倶梨伽羅不動明王という。

つまり龍神のお姿の不動明王という理解でいい。

不動尊と別に不動様の持つ剣に竜がまいた像もある。

つまりこの剣は「三昧耶形」と言って不動尊お働きを象徴したものなのだ。

 

だが倶利伽羅信仰を説く経典では九十五種の外道と不動尊は戦い、たがいにしまいには相手を調伏せんがために互いに大剣の姿と化して戦ったという。

なかなか勝負がつかなかったが、ついに不動明王は大龍の身を現してその剣を容易に呑んでしまったという。

故に倶利伽羅竜王は剣を呑んでいる姿なのだという。

これはおそらく実際の戦いでなく激しい法論の表現だろうが、同時に仏教の相手を丸のみにしてしまう器量もうかがえる。

ただ否定するのではなく仏教に取り込んでしまうのだろう。

同時に信仰するものにとっては困難な状況や災いや嫌な人間関係や悩みもすべて丸呑みにして消化する不動尊の威力を現している。

つまり摂取と調伏を一枚にお姿と思う。

だから私は倶利伽羅竜王は邪教から身を守る力もあると思っている。

毘沙門天八眷属の夜叉に阿多縛倶夜叉があり、これが大元帥明王になったのと同じだ。

大元帥明王は釈迦の化身。

これらはインド版の権現と言えるだろう。