「苦しい時こそ、信心の道に入る動機なのである。」という松本長老のお言葉。
まさにそうである。
しかるに苦難に立っているのに「御祈願料はいくらですか」とか「どのくらい信仰したら結果出ますか」とか言うことばかりにこころひかれる人が多い。
何とか助けてくれというのに祈願料や相談の交渉に必死な人がいるが祈願料は負けろと言う人にはビタ一文負けない。(あくまでこちらの判断で無料ですることはある)
ケチで無慈悲!
そう思うだろうが、私に言わせれば、なぜまず「お参りさせてほしい」という言葉が出ないのか不思議だ。
お参りは無料なのにね。
もうはじめっから完全に「物の売り買い交渉モード」なのだ。
そこに信仰はないと思う。
物の売り買いだったら「負けてください」には「負けませんよ」しかない。
ふつう、スーパーで大根一本だって負けやしない。
それが証拠には値段やら何やらで延々と聞いてくる人は来たためしはない。
他所と比べて損得を測っているんだろう。
とりわけ「いつまで信仰したら」など噴飯ものだ。
まことの信仰に期限などない。話にならない。
そう言う方には「していただかなくて結構です」と言っている。